三和の練習仲間の渡辺一貴(58期)はマーク強引でいまでもならしている。若手のマークが「逃げ一」の時などは渡辺に競り込むがテクニックが違う。相手はまず競り負けてしまう。
このケースでは渡辺も目標の先行に離れてしまうが、競り勝つことが最優先だ。90年の福井ふるダビからGI、GII戦線で闘っていて平成5年の青森全日本選抜で優参の実績はあるが、18年たったいまも弥彦ふるダビで敗者戦ながら2勝をあげるなど活躍している。
渡辺は滋賀・京都の「京滋ライン」のまとめ役としての存在も大きい。作戦参謀的な役割でもある。
内林久徳(62期)はまだまだやれると思ったが引退した。昭和63年9月にデビューしてから特別競輪制覇を狙ったが、運に恵まれず、GIIの共同通信社杯を制したのは平成11年の広島だった。だが、翌年の高松も制して、平成16年には40歳にして初めて大垣全日本選抜でタイトルホルダーになった。実に16年のチャレンジの末に栄冠を勝ち取ったのである。
内林はラインに恵まれなかったこともあった。だから最後は番手に追い上げて競りになり、勝っても末脚がいっぱいになってしまう不運も多かった。だが常にチャンスを狙う闘争心はファンの心を捉えていた。追い上げまくりは脚の余っているときには必ず見せたものである。最近ではテレビ解説にもしばしば姿を見せ、かつての内林らしいずばりとした解説をしている。
広島から移籍した金山栄治(72期)は1着か大きい着をとるか…といったタイプだ。平成5年にデビューして2年後の7年には金山旋風が吹き荒れた。
7月の青森全日本では(2)(1)(2)で優参して暴走気味に先行、人気の吉岡稔真(福岡)を4着に沈めて神山雄一郎(栃木)の優勝に貢献した。この年には寛仁親王牌も(3)(1)(2)で優参、小倉新人王では(9)(1)(1)で72期のチャンピオンになっている。
ともかく、逃げ一本のレースで本線とされる先行をつぶすことも多く、とくに3分戦ではまず主導権をとる。まだ32歳の若さだけにS1でも頑張ってほしいが「ただ自分のレースをするだけと」と欲がない。まくりも強烈だけに、もっともっと頑張ってほしいものである。1.79メートル、86キロの恵まれた身体をしているだけに期待は大きい。