正直、何の意味も持たない、このフレーズ。嬉しさや悲しさといった感情の表現を表すギャグではないことが逆に良かったのか、こだま・ひびきの存在を知らず、漫才を見たことがない世代が、一気に食いついた。その橋渡し役となったのは、同じよしもとクリエイティブ・エージェンシーの後輩にあたるナインティナインの矢部浩之と岡村隆史だ。
そもそも、こだまは85年、美人女性漫才師の海原さおり・しおりのさおりと結婚。人気絶頂期で、女性漫才のトップだった美人妻と「格差婚」といわれ、収入は圧倒的に負けていた。しかし、その後10年かけて、ダンナの方が上回り、96年には「上方漫才大賞」と「上方お笑い大賞」をダブルで受賞。「往生しまっせ〜」のフレーズは、関西で知らぬ者がいないほど有名になった。そのちょうど10年後、「チッチキチー」が誕生した。
いちばん最初は、食レポで鍋を食べたあとに発した。ところが、後輩で、関西のローカルタレント・なるみから、「なんや、それ。何にもおもろない」とバカにされた。それからずいぶん経ってから、ナイナイ・矢部が手づくり炒飯を師匠に食べてもらうため、楽屋にロケで訪れた。食べたあと、性懲りもなく「チッチキチー」と感想を述べ、「何を言うてますの?」と返されても負けずに、3回繰り返した。そして、「『チッチキチー』だけは東京に持って帰ってな。頼むわ!」と、矢部に訴えた。
このバトンを受け取ったのが、相方の岡村だ。『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)でおよそ3か月間にわたって、口にしたのだ。凍りつくような空気に包まれても、岡村はあきらめなかった。おかげで、“めちゃイケ”世代に浸透した。
その人気の余波で、明石家さんまが司会のトーク番組に出演。収録中の緊張で言い忘れないようにと、事前にマネージャーがマジックで親指に「チ」と書いてくれた。ところが、本番では案の定、汗でドロドロ。それを見たさんまは、「マジックが汗で流れるし、汚いよ。タトゥー入れるかシールにするか、どっちかにしなはれ」と、大先輩にアドバイスした。
帰宅後、妻のさおりに相談。すると、知人に印刷会社関係者がいることがわかり、シール化をプラン。親指のサイズに合うフォントや級数をみんなで考え、候補をいくつも挙げた。そうしてようやく商品化にこぎ着け、よしもと直営店を中心に発売を開始すると、バカ売れ。一般市場にも出回り、24万枚を売りあげるスーパーヒットとなった。
ナイナイ、さんまによって愛でられ、育まれた「チッチキチー」。これぞ究極のよしもと愛といえよう。(伊藤雅奈子)