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新重賞今昔物語 1999年フサイチエアデール

 シンザン記念は偉大な3冠馬の名をいただくGIIIにもかかわらず、かつてはクラシックとの関連が低く、メンバーの手薄なレースというありがたくない評価をされていた。
 そこには、年明けすぐの厳しい寒さが影響して馬場状態が悪くなる時にわざわざ期待馬を使うことはない―という関係者の判断が働いていたものと思われる。年末年始の変則日程が考慮されることもあっただろう。

 しかし、芝コースのオーバーシード技術が進み、真冬でも芝生が青々とするようになった1990年代半ば、調教のレベルも一段と上がったことで事情は変わってきた。
 そんな状況の変化に敏感だったのが、昨年も有馬記念をダイワスカーレットで制した名伯楽・松田国調教師だった。
 99年、開業から2年を過ぎたばかりの若手だった松田は、フサイチエアデールをシンザン記念に送り出した。紅一点、普通なら桜花賞を目指すこの時期に牡馬混合戦を選ぶのは珍しいが、メンバーが甘いのを見越して狙い撃ちしたものと思われる。

 実際、エアデールは武豊騎乗の効果も相まって2番人気に支持された。レースぶりも優等生そのものだった。素早く3番手につけると直線もあっさり突き抜けた。2着のマルシゲファイターに1馬身4分の1差の完勝。デビュー戦はよもやの13着。初勝利を挙げるまでに4戦を要したが、この1勝でサンデーサイレンスを父に持つ素質馬は一気に桜花賞候補に名乗りを上げた。
 松田にとっては開業から初の重賞勝利。今に続く栄光はここから始まったといってもいい。思い入れが強いのか、松田はこの後も期待馬をシンザン記念に使い続けている。2002年には、後のダービー馬タニノギムレットでV。07年はダイワスカーレット(2着)も出走した。
 その後、エアデールはさらに重賞を3勝したものの、99年桜花賞とエリザベス女王杯、翌年のエ女王杯と、GIでは3度の2着が最高だった。
 あと一歩で届かなかったGI。しかし、その無念は、クロフネとの間に生まれたフサイチリシャールが05年の朝日杯FSで晴らしてみせた。

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