私がテレビ取材で現地を訪れたところ、近辺の方々から火事前後に目撃したさまざまな怪異証言を聞くことができた。これはすべて座敷わらしの起こしたことなのだろうか? ここにそのいくつかを紹介する。なお、「宿泊客が逃げろという声を聞いた」という報道が一部あったが、私の現地調査では誰の証言か確認はできなかった。
1、緑風荘入り口の斜め向かいに事務所を構え、内装関連の企業を経営されている方は、緑風荘の火事当日奇妙な物体を目撃。緑風荘から飛来した火の粉が、緑風荘入り口の向かい側斜面に広がる畑に降り注ぎ、しかも切り株が燃え上がってしまった。焦ったその人は、鎮火作業に当たった。ふと顔を上げると、半透明の球がふらふらと緑風荘の方角から飛んでいた。地上から1.5〜2メートルの高さで飛んできた球はそのまま五日市氏(緑風荘のご主人)の先祖の墓の方まで飛んでいった。
2、火事の直前にも座敷わらしの目撃談はあった。8月には家族連れが宿泊したのだが、子供だけなぜか夜中に目が覚めた。その子供がトイレにいくと、見知らぬ子供がいたので、しばらくジャンケンをしたという。ちなみにこの家族が宿泊したのは、槐(えんじゅ)の間とは違う一般の部屋であった。9月には、霊感の強い女性が宿泊したが、夜中に目が覚めると子供が立っていた。
3、ご主人が近所の方から聞いた不思議な話である。火事の当日、その人が燃える様子を見ていると、見知らぬ子供が敷地内にある亀麿神社に逃げ込むのが見えた。
4、緑風荘の敷地に隣接して親せきの方の家がある。その家から外に嫁いだ娘さんが出産のため、帰郷しようとしていた。ニュースで火事の話を聞き、ダメかなと思いながら戻ったが、自分の家はまったく無傷なので驚いた。ちなみにこの逸話を聞いた緑風荘のご主人は、「座敷わらしがお腹の赤ちゃんのために守ってあげたのではないか」と言った。
このように今年の夏ごろから火事直前まで、緑風荘の近辺で多くの不思議な体験、目撃をした人が多いことが分かった。
緑風荘のご主人は以前、近所の方から、座敷わらしは金田一温泉一帯が遊び場らしく、時々ほかの宿でも目撃されていると聞いたことがある。劇団四季は、金田一温泉の座敷わらしがモデルになった「ユタと不思議な仲間たち」を演じている関係でたびたび同地を訪問して、芝居のイメージを深めているというが、仙養館という宿に泊まった劇団員が記念撮影した時、丸い球が写り込み、座敷わらしではないかと評判になったこともあったそうだ。
また、緑風荘の親類の方は十数年前、兄と一緒に緑風荘に泊まった時、座敷わらしが出たら撮影してやろうとカメラを用意した。すると、廊下の方から足音が聞こえた。だが、足音は確かに聞こえるのに、人影がふすまに映らない。そのうち、奇妙な足音を出す存在が室内に入ってきた。早く撮れと兄を促したが、兄も自分もどうしてもカメラ撮影ができなかったという。ところが、今回の火事現場をその方が撮影したところ、無数のオーブが写りこんだ。(掲載写真)今までも緑風荘で撮影した写真には、オーブがたびたび写り込んでおり、座敷わらしではないかと思っているという。
なお、この男性のお兄さんは、座敷わらしと片足飛びで遊んだり、鬼ごっこをしたことがある。鬼ごっこをして追いかけたところ、座敷わらしはふすまの中に消えていき、自分は思い切りぶつかってしまったそうだ。座敷わらしは今も緑風荘を見守り続けているのだろうか。
◎南朝の落ち武者の男子か
緑風荘本館奥座敷にある「槐の間」には座敷わらしの目撃例が多くあり、今までも数多くの著名人が宿泊、目撃あるいはラップ音などの現象を体験している。緑風荘の座敷わらしは「亀麿(かめまろ)」と呼ばれている。その由来として語られているのが、南朝の落ち武者伝説だ。
1300年南朝の武将が北朝方との戦いに敗れ落ち武者となり、南部藩(金田一)に落ち延びた。
同行していた6歳と4歳の男子も、金田一までたどり着いたのだが、6歳の亀麿は病にかかって死んでしまう。亀麿は「末代まで家を守り続ける」と言って、息を引き取ったといわれている。この亀麿が奥座敷「槐の間」にすみつき「家の守り神」となり、時々客人に姿を見せたりいたずらをするようになったといわれている。奥座敷の中庭にはこの亀麿をまつった亀麿神社も存在している。
この「槐の間」に宿泊し、成功をものにした有名人は数多い。原敬、米内光政、福田赳夫、その息子の福田康夫と4人の総理大臣が誕生している。実業界でも本田技研工業創業者の本田宗一郎がバイクでツーリング中に宿泊したといわれており、パナソニックを創業した松下幸之助も宿泊している。メディアで取り上げられることも多く、予約は2011年の12月31日までいっぱいになっていた。1日も早く緑風荘の再開を祈りたいところだ。