8月10日、その小野寺が見せてくれた。和宇慶勇二(ワタナベ)を迎えた初防衛戦で、大ぶりのパンチをブンブン振り回すド迫力ファイトを披露。挑戦者の和宇慶も闘志をむき出しにして打撃戦に応じたため、後楽園ホールは試合終了のゴングが鳴るまで沸きっぱなしだった。
小野寺に注目が集まったのは04年の新人王トーナメントだった。嵐のような連打は、リングサイドにいてもスカッとするような気分にさせられた。その後、多少の足踏みはあったが、今年4月、13連続防衛中の木村登勇(横浜光)を判定で下し、日本王者となった。
なぜ、小野寺はこのような圧倒的に攻撃型の選手になったのだろうか。それは師匠である渡辺治会長の影響が大きい。渡辺会長とは、あの西島洋介山を世に送り出した、テンガロンハットの名物会長である。
その渡辺会長は「日本人は手数の多い選手が好き」というのが持論。つまり、手数の少ないボクサーは、国内ではなかなか人気が出ない。その教えをリングで忠実に実行しているのが小野寺というわけだ。
もちろんボクシングは手数だけの勝負ではない。ディフェンスやぺース配分、時には駆け引きも重要な要素になる。しかし、小野寺は「お客さんに喜んでもらえる試合」を常に忘れない。その結果、技術的には雑になってしまうこともある。
渡辺会長の夢は、小野寺をフィリピンの英雄、マニー・パッキャオと対戦させることだ。ラスベガスでガッポリ稼いでいるパッキャオとの対戦は、そう簡単に実現はしないだろう。小野寺にはしばらく、後楽園ホールのお客さんを存分に楽しませてほしい。