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京焼き討ちは新撰組の陰謀? 「池田屋事件」に関するミステリー

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 日本が開国し、動乱期にあった幕末期は、多くの人が活躍し、ドラマも生まれた時代でもあったためか、この時代の偉人のファンは多い。坂本龍馬や高杉晋作ら幕末の志士たちや、新撰組の隊士たちが人気のある偉人の代表格だろう。そんな彼らが京都で激突した事件が、有名な池田屋事件である。

 長州藩を含む攘夷派の志士たちが、京の旅籠「池田屋」で密会をしているところを新撰組に襲撃され、多くの死傷者が出ることになった事件である。この事件では熊本藩士・宮部鼎蔵、長州藩士・吉田稔麿、土佐藩士・望月亀弥太ら、有能な志士たちが多く死に、この事件のせいで明治維新が数年遅れたと言われるほどである。

 また、映画などでは池田屋事件の最中、沖田が結核の影響で喀血(かっけつ)したとされているが、近年の研究によると、密室で数時間戦ったことによる昏倒が正しいようだ。つまり、熱中症のような症状で沖田は倒れたのだ。結核といえば喀血のイメージがあるが、実は喀血は結核の病状が相当進行しなければ出てこない。もし喀血するほど結核が進行していたなら、逆に激しく戦うのは不可能だっただろう。

 さて、池田屋事件は「風の強い日に御所に火をかけ、京の町を混乱に陥らせ、公武合体派の公家・中川宮や松平容保、一橋慶喜らを殺害した後、孝明天皇を誘拐し長州に連れ去る」という国家転覆ものの計画であった。そして京都には既に実行可能な志士が多数潜伏しており、企みが攘夷方の志士古高俊太郎から露見したため、実行されたことになっている。

 しかし、志士による「京都焼き討ち計画」「天皇の誘拐」「一橋慶喜や松平容保の暗殺」に明確な証拠は存在していない。志士側の資料には一切記述がなく、これらの計画は新撰組のでっち上げだったようだ。実際に証拠とされたのは、古高俊太郎が拷問されたあげく、証言した内容のみであった。志士たちが集まっていたのは、単に仲間であった古高をどう救い出すか検討していただけだという。

 陰謀など世に存在しないと言い切る人がいるが、歴史上を見ると権力側、反体制側どちらもこのような謀略と陰謀を駆使している。

(山口敏太郎)

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