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ダウンタウン浜田が一流のMCになれたのはドS高校時代のおかげ?

 デビューから35年以上たった今なお、幅広い年齢層から支持されているダウンタウン。松本人志と浜田雅功は幼なじみで、そろって貧乏、高卒という共通点がある。同じ中学校を卒業後、松本はそのまま地元・兵庫県の尼崎工業高校に進学。しかし浜田は、三重県伊賀市にある“超スパルタ校”日生学園(現:桜丘高校)に進んだ。

 当時の同校は、実家から通うことが許されない全寮制。丸坊主が当たり前で、1人部屋は与えられず、複数名で同居していた。自由な時間は基本ない。就寝、起床の時間も決められており、先輩・後輩のタテ社会は絶対的。浜田いわく、「刑務所みたいな高校」だ。

 帰省が許されるのは、年2回。寮に戻ってきたとき、お菓子を持ち込こんでいないか、荷物を入念にチェックされる。寮は、お菓子などの甘味がNGだからだ。親と会えるのは、月に1回。面会日が定められているが、シャバの空気は吸えない。学校の敷地内でしか過ごせず、親が甘い差し入れを持ってきても、食べているところを学校関係者に目撃されると没収される。

 トイレ掃除は、素手。手袋なしで、便器を磨かされる。汚れは、自爪で削り落とす。

 血気さかんな10代男子は当然耐えられず、誰もが一度は“脱獄”を試みる。浜田も高校1年生で早々とトライしている。成功したそのとき、かくまってもらったのは、のちの“相棒”となる松本の家。寮のなかでは、雑誌やテレビといった情報源も断絶されているため、坊主頭にする際に下に敷いた新聞紙を見た浜田は、びっくり仰天。「まっつん(松本)、歯みがき粉が3色になってるぞ!(アクアフレッシュのこと)」「歌手で、顔を黒く塗ってるヤツがおるぞ(シャネルズのこと)」など、当時の流行に驚いた。

 “アルカトラズ状態”からの脱走の多くは、失敗に終わる。というのも、学校は山のなかにあり、なんとか下山して最寄り駅にたどり着いても、駅員が通報。学校に引き戻される仕組みだったからだ。

 そんな環境下で、浜田は副寮長にのぼりつめており、生徒を取りまとめる立場に立った。未来のメインMCは、この時代に産声をあげていたのだ。

 浜田の後を追うように入学、入寮したのが、のちに後輩となる今田耕司。3歳の年の差がある2人は学生時代、接点がなかった。しかし、同じ吉本興業(当時)に所属すると、今田は東野幸冶や130R(板尾創路&ほんこん)、山田花子らと“ダウンタウンファミリー”の一員になった。そして、伝説のコント番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ系)をきっかけに、ブレイクした。

 一流芸能人になった今も、芸能界の秩序を重んじ、先輩を敬い、統率力が磨かれている浜田と今田。その背景には、ドS高校での学びがあるのだ。

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