しかし、1988年の結成から数年は、不遇の連続。アイドル氷河期、歌番組の終了と時期が重なったため、昨今のジャニーズアイドルの不文律といえる“デビュー曲が初登場で第1位”を達成できなかった。デビュー曲『Can't Stop!! -LOVING-』は、2位どまり。ようやく1位を獲れたのは、12枚目のシングル『Hey Hey おおきに毎度あり』。デビューから、実に3年も経っていた。
バラエティ番組に進出することで生き残りを賭けたSMAPは、『桜っ子クラブ』(テレビ朝日系/91〜94年)にTOKIOとレギュラー出演。このとき、珍事件が起こっていた。騎馬戦で対戦した一般男性が蹴りを入れたことに対し、激怒した森且行(オートレーサーに)がハイキックを食らわせたのだ。これが原因か定かではないが、SMAPは番組を降板させられた。
同番組関係者には、食事をごちそうしてもらうことが多かった。ところが、高額なサーロインステーキを頼むと怒られてしまったため、以降は気づかって、ビーフカレーをオーダー。未成年のメンバーたちは、おとなの顔色をうかがうことを覚えた。
当時は、経験したすべてが辛酸だった。デパートの屋上で、アンパンマンショーの前説として歌わされたこともある。テレビ番組に呼ばれても、カメラに映らない見切りの席に座らされ、ガヤとして盛り上げることを要求された。ようやくもらえた歌うチャンスも、最初とサビだけ。フルコーラスで歌わせてもらえなかった。楽屋に、人数分のお弁当が用意されていないこともあった。
今でも語り継がれているのは、日本武道館を満員にしたあとの、初の全国ツアー。幕開けの愛知公演(名古屋レインボーホール/現:日本ガイシ スポーツプラザ)は、2階席が2人しかいないというまさかの不入り。その後も、地方公演はほぼ半分の入りという現状を突きつけられた。
それは今では、ドームツアーでさえチケットは入手困難。ツアーで100万人を動員するほどのモンスターアイドルになった。“27時間テレビ”で絶対的地位を見せつけた彼らは、日本のシンボルといえよう。