「明治・野球部は今年が『創部100周年』です。何人かの著述業者、スポーツジャーナリストが明治の要請で記録史をまとめようと、去年から動いています。100年の歴史を整理する過程で、島岡御大の偉大さを改めて思い知らされ、星野SDの名前も出てきたわけです」(関係者)
故・島岡吉郎監督の功績は説明するまでもないだろう。そのもとで学び、「オヤジ」と慕う星野SDが後継に選ばれるとすれば、それはむしろ自然な流れである。
「来年は東京六大学から斎藤佑樹がいなくなる。彼の早大進学で東京六大学が注目されたのは事実です。1年生のころと比べたら、スタンドはガラ空きだけど、斎藤がいなくなったら、もっとお客は減る」(前出・同)
これでは、『ポスト斎藤』である。しかし、今の阪神内部を見ていると、星野SDは『阪神監督』に復帰するための人材配置を遂行しているようにも見受けられる。昨年11月1日付けで、元横浜二軍監督の福田功氏(56)が球団本部長(企画調査担当兼スカウト)に迎えられた。福田氏は北京五輪で星野ジャパンのスコアラーも務めており、その親密関係は中日時代にまで逆上るという。
「福田氏は長年、『監督・星野』を支えた故・島野育夫氏に近いタイプ。『第2の島野』と言っていい」(在京球団関係者)
今年度より阪神OB会長を務めているのは、田淵幸一氏だ。星野SDとの関係は説明するまでもなく、こうしたチーム内外に及ぶ“星野一派の増長”は、「阪神監督の布石」と捉える関係者も少なくない。
「一時期、巨人監督の話がありましたが、本人は引き受ける気でいました。巨人行きの話を断ったのは批判的な世論の声の方が圧倒的に多かったからです」(前出・同)
星野SDが「もうひと勝負するところ」は阪神か、母校・明治大学か…。今、星野SDは自らの発言による『世論の声』を見極めようとしている。