六角氏は企業犯罪などを中心に取材活動を展開し続けた。そこには常に自ら収集した“怪文書爆弾”が存在し、企業の内部事情やスキャンダルを赤裸々に伝え、その現場をくまなく取材して回った。代表的なものは、『そごう』『イトマン』『佐川急便』に絡む巨大組織の経済事件。怪文書の内容は、ライバルを追い落とすための誹謗中傷から、当局の捜査を撹乱するためのデマ、経営陣の暴挙を告発する内部からの悲痛な訴えまで、様々なものが含まれていた。
1981年秋には、収集した怪文書を公開する『六角文庫』を開設。また'98年4月からジャーナリスト志望者向けの『六角マスコミ塾』を主宰。テレビ出演から講演会と幅広く活動をしていたが、同年4月にがんの告知を受けた。'11年の六角氏の年賀状には、「胃袋全摘。食道、膵臓への転移も見つかり、年末まで入退院5回。体重67キロ→43キロ。頭髪がゴソッと抜け、竜宮城の乙女から貰った玉手箱を開けてしまったら浦島太郎になり…」とある。
大のビール党で、ワインも1年間に300本は飲む。また世界数10カ国を“食の旅”で渡り歩く粋狂な一面を持った人だった。ただし、俗に言う「ゲテモノ喰い」で、ミミズ、コウモリ、カエルなども嗜好した。
「オレも良くつき合わされて参ったよ。彼は美味しそうに食べるんだ」
「いつも釣り用のベストをトレードマークに、銀座のクラブに通う。あまりにもラフな服装にママが入店を断わる。後で著名な人物と知って平謝りの顛末もあったが、自由奔放で人付き合いも最高。もう彼のようなジャーナリストは出ないんじゃないだろうか…」
本誌歴代の編集長2人も、思い出を語り死を悼んだ。
好きな京都にマンションを借り「秋の京都は素晴らしい。あそこの鍋料理は極旨だ」と語っていた六角氏。今頃、天国で美酒を堪能しているのだろうか。合掌。
(本誌記者・磯崎忠夫)