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【甦るリング】第6回・“痛みの伝わるプロレス”を体現した天龍源一郎

 R30世代以上のプロレスファンにとって、絶対に忘れることができないプロレスラーが天龍源一郎だ。今年2月2日で65歳になった天龍だが、今なお現役を続け、トップレスラーの威厳を保っているが、残念ながら、デビュー39周年となる11月で引退する。天龍は腰部脊柱管狭窄症の治療のため、11年12月から長期欠場に入り、2度の手術を乗り越えて復帰したが、引退理由については、腰の故障ではなく、「夫人の病気のため」としている。

 福井県勝山市の農家に育った天龍は幼少期から体が大きく、それがきっかけで相撲界に入ることとなり、中学2年の時に上京。63年(昭和38年)12月に二所ノ関部屋に入門した。64年初場所(1月)で初土俵を踏み、71年秋場所(9月)で新十両、73年初場所で新入幕を果たした。メキメキと力を付けていった天龍は74年初場所で、自己最高位の前頭筆頭まで番付を上げるが、部屋の騒動に巻き込まれてしまう。師匠が亡くなり、押尾川親方が天龍らを引き連れて独立を目論んだが、師匠の未亡人が反対。結局、独立自体は認められたが、希望者全員を連れて行くことはかなわず、天龍は金剛が後継した二所ノ関部屋に戻されたのだ。

 金剛とソリが合わなかったとされる天龍は嫌気が差して、相撲を辞めることを決断。76年秋場所(番付は前頭13枚目)で勝ち越しながら、場所後に廃業した。そして、同年10月、全日本プロレスに入門。関取が年を取って引退した後、プロレスに転向した例は少なくないが、まだバリバリの幕内力士がプロレス入りするのは異例なことだった。

 入団後はジャンボ鶴田と同じように、米国に渡って、ファンク道場で修行。同年11月13日には、テッド・デビアスを相手にデビューを果たす。同年12月、帰国して日大講堂で断髪式を行うと、再び修行に入る。76年6月11日、ジャイアント馬場と組んで、マリオ・ミラノ&メヒコ・グランデと対戦。天龍がグランデをフォールして、日本デビュー戦を白星で飾る。馬場は天龍を鶴田に次ぐ“全日本第3の男”として期待したが、なかなか殻を破ることができなかった。

 そんななか、天龍のプロレス人生を左右する試合があった。81年7月30日、ビル・ロビンソンと組み、馬場&鶴田が保持するインタータッグ王座への挑戦の機会を得たのだ。結果的にベルトは獲れなかったものの、この試合での奮闘ぶりが関係者、ファンに評価され、一気にブレイク。まさに、天龍の出世試合となったのだ。

 長州力らが新日本プロレスを離脱して、ジャパン・プロレスを設立し、全日本に乗り込むと、その最前線に立ったのが天龍だった。全日本vsジャパン軍の対抗戦において、天龍は欠かせない存在となり、鶴田との「鶴龍コンビ」として活躍。ジャパン軍が新日本にUターンすると、鶴田に反旗を翻し、天龍革命を決行。阿修羅・原、サムソン冬木(冬木弘道)、川田利明、小川良成らと天龍同盟を結成し、全日本正規軍に対抗。それまで、ジャパン軍などの外敵はいたが、団体内に初めて対立の構図を持ち込み、ライバル・鶴田との闘いは黄金カードとなった。

 90年4月、天龍は新団体SWSに参加するため、全日本を離脱。そのSWSは内部分裂のため、あっけなく崩壊。天龍は92年7月、WARを設立し、自身のロマンを追及することになり、新日本との闘いにも挑んだ。94年1月4日の東京ドーム大会では、アントニオ猪木とのシングルマッチでフォール勝ちを収めた。89年11月には、タッグマッチながら、馬場からピンフォールを奪っており、日本人で唯一、馬場、猪木からフォールを奪った選手として、プロレス史に、その名を刻むことになる。残念ながら、WARはクローズしたが、天龍は新日本、大量離脱後の古巣・全日本、WJプロレス、プロレスリング・ノア、ハッスルなどでファイト。10年4月に終着駅といえる天龍プロジェクトを設立し、現在に至っている。

 天龍といえば、最も“痛みの伝わるプロレス”を体現した男といえる。受けの強さを発揮して、受けに回った時は徹底して、相手の技を受ける。いったん、攻めに回ると、強烈無比。喉元へのチョップ、グーパンチや顔面へのキックなどで対戦相手を悶絶させ、見ている側にも説得力は抜群だ。ファイトスタイルが無骨であるため、頭も固そうに見えるが、実は正反対。WARを旗揚げ後は、柔軟な発想で、“邪道”大仁田厚と電流爆破デスマッチを行なったり、受けのプロレスの対極にあるUWFインターの高田延彦らと抗争を繰り広げたり、女子プロレスラーの神取忍とミクスドマッチに臨んだり、エンターテイメントプロレス(ハッスル)にチャンレンジしたりと、その振り幅は限りなく広い。インディー団体からオファーがあれば、積極的に参戦する度量の大きさも持ち合わせる。

 私生活ではとかく後輩の面倒見がいいことで知られ、後輩を引き連れて、酒を飲みに行くのが好きである。喉にチョップを受けた影響からか、声はかすれて聴き取りづらいが、最近では逆にそれがウケて、バラエティ番組に引っ張りだことなっている。

 日本プロレス界の歴史において、欠かすことができぬ存在である天龍。その勇姿が見られるのも、あと半年しかない。思い残すことなく、リングを下りてほしいものである。
(ミカエル・コバタ=毎週水曜日に掲載)

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