相撲芸人・あかつの原点をさぐるべく、インタビューを試みた。
−−相撲芸を始めたきっかけは?
「きっかけは、芸人になってから、『みなさんのおかげでした』の「伝わらないモノマネ」(*)に出たくて、力士のモノマネを作りました」
−−それは、いつ頃のことですか?
「芸人を始めた次の年くらいなので、23、4歳の頃です」
−−相撲経験は?
「相撲は、小さな頃から祖父といっしょに見ていて好きでした。でも、最近は番組の収録で相撲を取ることが増えたのですが、番組で撮る前までは、相撲は1回もやったことがないです」
−−柔道をやっていたとか?
「小学3年生から大学4年生までの14年間、柔道をやってきました。中学の時は「全国中学校柔道大会」に福島県代表で出ました。高校2年、3年生と、インターハイに出ました。高校3年生の時は、国体の団体戦に福島県代表で出場させていただき、ベスト8に入りました。大学生の時も、全国大会に行きました」
−−お笑い芸人には昔からなりたかったのですか?
「高校を卒業したらお笑いの養成所に入ろうと思っていました。高校3年のインターハイが終わったあとに、進路指導の先生に『お笑い芸人になる養成所へ行きます』と伝えたら、その先生は柔道をやってきた人で、『ダメだ』と言われました。3回、説得を試みたのですが受け付けてもらえず、養成所の募集要項を見たら、年齢が16歳から24歳までとあったので、大学を出てからでも行けると思い、大学に行きました」
「親も、高校の先生も、4年間の大学生活を送ればあきらめるだろうと思っていたようなのですが、お笑い芸人になりたいという気持ちが収まらなくて、大学卒業後、養成所に入りました」
−−お笑い芸人になりたいと思ったきっかけはあるのですか?
「高校2年生くらいのとき、学校の休み時間に何かやったら教室中が大爆笑になりました。そのとき、それまでに味わったことのない快感を覚えました。めちゃ、めちゃ、気持ちいいなあと」
−−どんな芸をやったのですか?
「いや、それが、覚えてないんですよ。でも、実際にやってます」
その後、あかつは上京し、いったんはお笑いの世界に入ったが、3年たってから帰郷。「違う世界を見たらどうだ」という父親の助言があり、父親が後援会に入っていた関係で、参議院議員岩城光英氏の秘書を1年間務めた。それでも、お笑い芸人への夢が捨てられず、事務所へ売り込みを続け、ネタ見せ・ライブ出場を繰り返し、現在も、お笑いを続けている。
ちなみに、あかつが所有する廻しは2つ。本職は廻しを締める際に弟子に手伝ってもらうというが、「私、弟子がいないんで」と笑うあかつは、本番前にいつも、トイレにこもって1人で廻しを締めている。
家族や周りの人たちは皆、お笑い芸人に反対しているのかもしれないが、これからも、“あの日の快感”を探し求め、人々を爆笑の渦に巻き込み続けて欲しい。(竹内みちまろ)
*「博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜」:フジテレビ系列のテレビ番組『とんねるずのみなさんのおかげでした』内のオーディション形式のモノマネバトルコーナー