浅尾が目標としてやってきたロンドン五輪出場、初の年間ツアー制覇がいずれもかなわず、今回の決断に至った。
浅尾は「ロンドン五輪に出場できないということが決まった時に、だったら絶対に今年の年間チャンピオンを取ってやろうと、ずっと思っていました。その年間優勝という私の目標も、かなえることができませんでした。その時に、どうしても気持ちがプツリと切れてしまいました。私なりに努力もしてきたんですけど、『勝てる選手じゃないのかな』というのも受け止めることもできたので、どうしても、『来年もまた頑張ろう』という気持ちにはなれませんでした」と吐露。
ウワサされる寿引退に関しては、「結婚という風に言われていることもあったんですが、私にとって大切だなと思う人はいるんですけど、近々そういう風になるかもしれないですけど、その時は私からしっかり報告させていただきたいと思います。相手の方も一般の方なので、みなさんには温かく見守っていただけたらなと思います」と話した。浅尾は30代半ばの一般男性との真剣交際は認めたが、それが、直接的な引退理由ではないとした。
今後はビーチバレーの普及活動に力を入れながら、テレビ出演などもこなすが、所属事務所側はキャスター転向については否定している。
浅尾は三重県立津商業高校時代に主将を務め、2度、春高バレーにも出場。川合俊一にスカウトされ、卒業後、ビーチバレーに転向。持ち前の抜群の美貌とプロポーションで、一躍人気者となり、マイナースポーツだったビーチバレーを人気競技に引き上げた。
西堀健実とのペアで08年に全日本選手権、09年にビーチバレージャパンで優勝したが、同年シーズン限りで、西堀とのペアを解消。10年は草野歩、11年は松山紘子、12年は浦田景子と組んだが、成績は振るわず。五輪出場も、悲願だった年間ツアー優勝も1度も果たせなかった。
ただ、浅尾がビーチバレー界に残した功績は絶大。唯一のスター選手が現役を退くことで、その人気が落ちていくことは不可避。競技の性質上、浅尾に代わる若くて美人の選手が出現しない限り、ビーチバレー人気は凋落の危機に瀕するといえよう。
(落合一郎)