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プロフェッショナル巧の格言 第41回 山川豊 マネージャーなしで営業に行かせた“演歌界のドン”の厳しさと暖かさ(3)

 一時期、低迷した演歌歌手の山川豊だったが、ボクシングの練習生を見て自分の甘さを知り、これまでの演歌とは違った斬新な曲『アメリカ橋』で復活した。
 「この曲の引き金になったのは『しぐれ川』、『夜桜』、『きずな』の3曲のヒットだったんです」という。
 「『アメリカ橋』を作曲していただいたのは平尾昌晃先生。普通なら書いて頂いた曲をそのまま使うんですが、長良会長は平尾先生に何度もダメ出ししました。最後は先生もわからなくなって、一緒にカラオケに行ったこともありました。そうして出来上がったのが、レインコートを引っかけた姿が似合う『アメリカ橋』だったんです」

 復活した山川はボクシングだけではなく、社交ダンスにもチャレンジした。
 「ダンス歴は既に7年になります。新宿コマ劇場のショーの時にダンスをやってくれないかと言われて始めたんですが、初めは1分間で足腰に来て、こんなにきついとは思いませんでした。シッチャカメッチャカでしたが、先生が教え上手だったんで何とかまともになりました」

 その後、日本テレビのダンス番組にも出演した山川は、社交ダンスのメダルテストでシルバー級を獲得。周囲の応援に応えて、最高クラスのスペシャルファイナルを目指しているという。
 「その間、ボクシングはできません。ダンスは胸をそらしますが、ボクシングは前屈みになって攻撃するから真逆なんです。でも、時間があればジムに行って寮生の指導に当たってます。不良になったりして行き場をなくしてしまった子たち。彼らが更生するため、必死にボクサーになろうと頑張っている。その姿を応援してやりたいんです」

 トレーナーとしてボクサーを育てるという夢を持つ山川にとって、ショックだったのは、冒頭の“芸能界の育ての親”だった長良会長の2年半前の突然の死だった。
 「今でも信じたくありません。親より長かったですからね。うちのオヤジも会長にすべてを預けたと言ってたんです。特に礼儀作法にはうるさかった。相手に気遣いのない態度を取ると烈火のごとく怒られましたよ。厳しい反面、思い遣りもあった。二度と会長のような懐の深い人には会えないでしょうね」

 『長良プロダクション』には田川寿美・水森かおり・氷川きよしといった後輩歌手がいる。山川は“長良ファミリーの長男”だ。
 「一応長男ですが、12年前に『長良プロダクション』の社長を継いだ神林義弘社長とは僕がデビューした頃から兄弟のようにお付き合いしたこともあって、大事にしてもらってます。うちは皆ファミリーだから、会長が亡くなられた後も、タレント全員迷うことなく仕事に専念できていると思います」

 昨年、33枚目の新曲シングルCD『優しい女に会いたい夜は』をリリースした山川は、再来年、デビュー35周年を迎える。
 「社長といつも話しているんですが、僕たち歌手はどんな時でもいい歌をお客様に届けるのが大切だと思っています。それにはヒット曲を出すこと、その思いは変わらない。現在、35周年に向けた新曲を社長と企画中です」

 山川は「時代の流れに臨機応変した曲作りが必要だ」と強調する。“演歌界のドン”と呼ばれた長良会長が育てた山川豊が『長良プロダクション』の神林社長の手でどのように進化していくか。注目したい。

やまかわ・ゆたか
1958年、三重県出身。'81年に『函館本線』で歌手デビューし、日本レコード大賞新人賞受賞。'86年にNHK紅白歌合戦初出場。'98年にリリースした『アメリカ橋』が大ヒットした。ボクシングと社交ダンスもこなす。

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