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山里亮太のコンビ歴史

 高い分析力と話術が買われて、引っ張りだこの南海キャンディーズ・山里亮太。みずから「嫌われ者」を公言し、ヒール(悪役)も厭わないあたりも、芸の振れ幅を感じる。今でこそ、業界人の「使いたい芸人」で上位にランクインする山里だが、若手時代はコンビ解消、改名、再スタートを繰り返していた。その歴史を振り返ってみよう。

 千葉県出身の山里は、「笑いは関西だ!」と決めこみ、あえてNSC(よしもとが運営する養成学校)の大阪校に入学。卒業を待たずして2000年、最初のコンビとなる「侍パンチ」を結成した。しかし、卒業2週間前に、解散。のちに、元暴走族の総長だった相方と、「足軽エンペラー」を組んだ。

 このコンビは、90年代後半から人気を博したTBS系リアルバラエティ番組『ガチンコ!』の名物企画“ガチンコ漫才道”にレギュラー出演。あのオール巨人師匠に見初められ、優勝もはたしている。ところが、相方のトミオくんが書いてきたネタを罵り続けたことで、03年にコンビを解散。しばしのあいだ、ピン芸人として活動していた。

 翌04年、山崎静代をパートナーにして、「すずらん」を結成。身長180cmを超える巨大な女と、見てくれの悪い男が、すずらんというミスマッチな名前であることに面白味を感じての命名だったが、これが、長きにわたる改名ロードの入口となった。

 まずは、先輩の鶴の一声によって、「南海ホークス」に変えられた。山里は、当時の同球団員だった「門田」にチェンジ。しかし、しずちゃんともに野球に詳しくないことから、ネタに行き詰まりを感じ、現在の「南海キャンディーズ」に落ち着いた。

 しかし、ここからも二転三転。かわいさが必要という“キャンディーズ”に引っ張られる形で、山里は「ランちゃん」と命名。しばらくは、“しずちゃんとランちゃん”だったが、のちに、「南海」と「キャンディーズ」を体現させようと、山里は「門田ラン」に再改名した。

 迷走の連続だった南キャンだが、結論は、本名の山里亮太が大正解。遠回りが成功へのサクセスだったと、今なら思えなくもない!?(伊藤由華)

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