新宿2丁目の歴史は古く、江戸時代には、飯盛女(めしもりおんな。仲居のことで、一部は遊女として売春していた)がいた旅籠もあったといいます。明治以降も遊郭(新宿遊郭)がありました。しかし、1945年に戦争で焼け、さらに46年にはGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領政策によって公娼制度が廃止となったのです。
ただ赤線地帯(非公然の売春地帯)として新宿2丁目は生き残っていました。しかし、売春防止法が施行された1958年に「赤線としての新宿2丁目」は終わりを迎えたのです。その後、ゲイタウンとして生まれ変わるのは60年代以降だと言われています。
ちなみに、どこが新宿2丁目の「第1号」のゲイバーなのかは諸説があるといいます。ゲイ雑誌「薔薇族」の副編集長・ 竜超さんが書いた「消える『新宿2丁目」』(彩流社、2009年3月)によると、資料によって違っており、竜さん自身「わからない」と書いています。
さて、私が最初に新宿2丁目で飲むようになったのは10年くらい前です。当時、よく飲んでいた知人が連れて行ったくれたある店でした。知人が男色で、よくこの街で男を買ったのだといいます。ちなみに、同性同士の売買春は、性器挿入がないために、売春防止法に違反しませんが、18歳未満を相手にすると、児童買春となり、罰せられます。
最近、私がよく飲みに行くのは「エフメゾ」です。ここの「ママ」さんは伏見憲明さんです。90年代のゲイリブ運動に影響を与えた人で、小説家でもあります。伏見さんは水曜日だけ「メゾフォルテ」という店に立っています。伏見(Fushimi)さんのいる「メゾフォルテ」ということで、「エフメゾ」となっているのです。通常は「ゲイオンリー」の店ですが、水曜は「ゲイでなくてもOK」となります。そのため、ゲイだけでなくビアンも来ますし、もちろん、ストレートの男女も来ます。また、複雑なセクシャリティの人も多くいます。
たとえば、見た目と心の性別は別でですが、性愛の対象は見た目からすると異性愛、心を基準にすると同性愛ということになります。実は、私もその一人で、生物学的には「男性」ですが、心は「女性」。性愛の対象は「女性」です。ただし、私は、幼い頃に「女性になることを諦めた」という経験があります。そのため、厳密には、心は「女性」とは言えません。
諦めた理由は、骨太だったこともあり、私が「なりたい」と思う女性にはなれないと思ったからです。もちろん、女性のスポーツ選手は骨太の人もいます。しかし、幼い頃の私が「なりたい」とイメージしたは、水島新司さんの漫画『野球狂の詩(やきゅうきょうのうた)』に出てくる、東京メッツの女性プロ野球投手・水原勇気です。彼女も骨が細い人でした。でも、こうした女性にはなれないと思ったのです。こんなことを思い出したのも、エフメゾに行って、いろんな人とセクシャリティについて話すことができたからです。
この「エフメゾ」ではフードメニューが人気を呼んでいます。「男ができるカレー」が美味しく、500円という安い値段で食べることができます。最近は新メニュー「カマ飯」もできて300円という安さ。2丁目の中では非常に安く飲めるので、つい長居をしてしまいます。
気がつくと、いつも朝を迎えています。一緒に飲んでいる人たちの中には出勤時間となっている人もいます。仕事前に、午前2時から正午まで開店している食堂で、朝食にするというのも日課になってきました。
<プロフィール>
渋井哲也(しぶい てつや)フリーライター。ノンフィクション作家。栃木県生まれ。若者の生きづらさ(自殺、自傷、依存など)をテーマに取材するほか、ケータイ・ネット利用、教育、サブカルチャー、性、風俗、キャバクラなどに関心を持つ。近刊に「実録・闇サイト事件簿」(幻冬舎新書)や「解決!学校クレーム “理不尽”保護者の実態と対応実践」(河出書房新社)。他に、「明日、自殺しませんか 男女7人ネット心中」(幻冬舎文庫)、「ウェブ恋愛」(ちくま新書)、「学校裏サイト」(晋遊舎新書)など。
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