「私の若い頃、ここ(東映京都撮影所)には、400人からの役者がいましてね。それは賑やかなものでした。斬られ役だけでも100人ぐらい居ましたよ。全盛期には撮影が次から次で、(水戸)黄門で斬られ、(遠山の)金さんで斬られ、暴れん坊(将軍)で斬られ、一日数回斬られることもザラでした。あの頃、太秦には大映や松竹の撮影所もありましたから、街全体が江戸時代。朝から晩遅くまでとにかく賑やかで、ほんまに“日本のハリウッド”いう感じでした」
当時は斬られ役にも勢いがあった。
「みんな、『自分たちがいなければ時代劇はできない』というプライドをもってました。そんなんですから、好き放題やってましたよ。つまらない仕事を振られると『こんなんやってられるかっ!』と、撮影を途中で放り投げて帰る人もいたぐらいで、またそれがまかり通るような時代でした。今ではちょっと考えられない話ですが、それだけ活気があったということです」
斬られた回数数知れず、からんだスターはキラ星のごとく。これまでに出演した作品で、印象に残っているものを聞くと「特にないです。大作であろうとなかろうと、とにかくその場その場を一生懸命やってきましたから」。だが'03年に出演したハリウッド映画『ラストサムライ』だけは特別なようだ。『ラストサムライ』では、ハリウッドの大抜擢に応えて、寡黙なサムライ役で出演し、見事な死にっぷりで場面をさらった。
「『ラストサムライ』で印象に残っているのは出演者の作品にかける熱意です。あっちはキャスティングからスタッフ選びに、何から何までオーディションで選ばれるんです。自分は選ばれたという誇りがあるので、みんな自信を持ってやっている。その自信と熱気というのはやっぱり写真(作品)に出てきます。写真は、嘘をつきませんからね。映画はこうでないといけないな、と思いました」
印象に残る役者については、萬屋(錦之助)と即答。
「萬屋さんの立ち回りが好きでした。ヤクザ、侍、殿様と、役柄に応じた立ち回りをその場その場できちんと使い分けができた上に格好が良かった。こっちも気持ちよく斬られましたよ。萬屋さんに『死に方がいいね』と言われたのも、斬られ役としての自信につながりました。それにしても昔は個性的なスターさんがいっぱいいましたね。スターというのは、皆さん、生まれながらにしての魅力や雰囲気が備わっています。でも、そんなスターの流れというのも、高倉健さんや渡哲也さんあたりで止まっているような気がしますね」