牧さんは、ウクレレに乗せた社会風刺漫談でブレイクした。しかし過去には、中学校の後輩だった故・立川談志さんが「あんなの芸じゃない」と批判したことに、牧さんの師匠だった故・牧野周一さんが激怒し、談志さんに公開討論を迫ったこともあった。
「見かねた談志さんの師匠の故・柳家小さん師匠が牧野さんに謝罪して収まったのです。この件で沈黙を守った牧さんは男を上げたと言われました」(演芸記者)
その後、'63年から日本教育テレビ(現・テレビ朝日)の『大正テレビ寄席』の司会を務め、'99年には『東京演芸協会』の6代目会長に就任。
「ところが就任3年目に脳出血で倒れ再起が危ぶまれた。リハビリの甲斐もあり復帰しましたが、デビューから所属していた『佐藤事務所』が解散していたことも響き、仕事が激減したのです」(元事務所スタッフ)
事務所が解散に追い込まれた裏には、牧さんの愛弟子だった泉ピン子が絡んでいるという。
「泉ピン子はデビュー当初の売れない時期、“三門マリ子”の芸名で地方を回っていました。そこへ日テレの情報番組『ウイークエンダー』のリポーターの仕事が舞い込みブレイクしたのです。しかし売れた途端、事務所に莫大な借金を残したまま独立してしまった。裏切られた事務所オーナーは意欲を喪失して、その後亡くなり、事務所は解散となったのです」(同)
対し師匠の牧さんは、「東京演芸協会」の協会費約650万円の使途不明金が発覚し、追及を受けていたことが明らかになっている。
お笑い関係者がこの師弟について語る。
「昔、談志師匠も『あの人は徳がない』と言ってましたが、牧さんは一見、優しそうでも後輩たちの面倒は見ない。ピン子も今でこそ仕事欲しさに“徳”の押し売りをしてますが、牧さんと似て人望はありません」
牧さんの自殺が、相談相手もいない果ての結果だとすれば寂しすぎる。