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永田洋子〜連合赤軍リンチ殺人事件など

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提供:週刊実話

 新左翼の一派だった連合赤軍は、武力革命を掲げて活動を続けていたが、メンバーの逮捕などが相次ぎ、組織は追い詰められていった。そして、1972年2月ごろは、群馬県の山岳部に設けた拠点を移動しながら逃走を続けていた。

 やがて「反革命的戦士は排除せよ」という主張のもと、「粛清」「総括」の名を借りた組織内でのリンチ殺人が始まり、ささいな理由から仲間のメンバーを次々に暴行した挙げ句に殺害した。

 その理由も、実態としては私怨や嫉妬などによるもので、政治的、思想的なものとはまったく関係なかった。結果、個人的なストレスや不満が政治や革命といった名目にすり替えられ、12人が惨殺されたのである。

 リンチ殺人首謀者の一人である最高幹部の永田洋子(当時27歳)は、1982年6月18日に東京地裁において死刑となり、93年2月に刑が確定。だが、獄中では脳腫瘍の悪化によって会話もできないほど衰弱し、2011年2月5日に東京拘置所内で病死した。

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