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この日、満員大入りの新宿末廣亭。講談界のスーパースターとして人気をけん引する伯山は、自身の貢献について「僕の貢献度は絶大なとんでもないレベル」とニンマリ。続けて、「それは僕がそういう役割をしているだけで、うちの師匠や兄さん姉さん方、後輩たちも一丸となってやっているんですけど、たまたまいろんな運や役割が巡って来て、やらなければいけないことを粛々とやっているということ。役割をちゃんとやらないと業界全体が潤わないので」と講談界の発展に必要なことと語った。
新著では、講談ゆかりの各地を訪れた。苦労したことを聞かれ、「現地に行くのがけっこう大変でした。まずYouTubeに上げて、後で本にする二段構えで、特殊な本になったかなと。『講釈師、見てきたような嘘をつき』という言葉があるんですけど、講談は歴史を扱うものですから、うちの師匠(※人間国宝の神田松鯉)は『見てきた上で嘘をつき』とおっしゃっていて」とネット時代ならではの工夫を挙げた。また、「文章は聞き書きで、イエス・キリスト方式というかソクラテスだったり、弟子に書かせる方式です。(発行元の)講談社は、もともと大日本雄辯會講談社が講談の速記を扱っていたところから始まっているので、講談師のしゃべりを活字にするという、ある種、講談社の初期の形式を採っています」と講談の原点に立ち返って意義を説明した。
『群像』連載に大幅加筆した内容には、師匠・神田松鯉との師弟対談も収録。「良いことをおっしゃると思ったのは、孫弟子に対して言葉をいただけますかと言った時に、『ただ人について、言われるがままに修業するだけではなくて、自分の頭で言われたことの意味を考える修業も必要なんです』とおっしゃって、僕はこの言葉にすごいびっくりしたんです。というのは、(立川)談志師匠が『修業とは矛盾に耐えることだ』とおっしゃっていて、理不尽に耐えることが修業ということは現代では伝わりにくくなっていると思います。うちの師匠がすごく画期的だと思うのは、修業は自分で定義しなさいと。普通に寄席に行って漫然と過ごすことはできるんですが、どうやったらこの状況をもっと良くできるかはけっこう深いテーマ」と師の言葉に感銘を受けたと話した。
庶民の娯楽である講談文化の継承にも意欲を示した。「活字に残らないバレ(エロ)講談があって、キャバレーでやっていたエッチな講談は、下に伝えていかないと残らないんですよ。映像でも音源でも残っていなくて、サイドストーリー的なものもいっぱい(故・一龍斎)貞水先生に聞きたかったので、師弟対談でも、ちょっとですが『大石主税の初夜』の話をやっていたとか話しています。これが資料で文字として残る。だから、僕が一番これからやらなきゃいけないことは、『大石主税の初夜』とかエロい話を、うちの師匠に映像で撮っておきたい気持ちもあるんですけど、ちょっと厳しいかな」と言って頭を掻いた。
(取材・文:石河コウヘイ)