番組では、爆笑問題・太田光が「トシちゃんと聖子ちゃんが一緒にCMやっていて、うわさになって。聖子ちゃんのファンとトシちゃんのファンが『一緒にしないで』って言って、『ザ・ベストテン』でも隣に座らせないように、めちゃくちゃ抗議が来たり」と当時のフィーバーぶりに触れた。これにお笑いタレント・友近が、「実際にどうだったんですか?聖子ちゃんとの仲は?」と質問し、田原は「チューしかしてない、だから」と返答。しかし、直後に「やめろ!」と自ら訂正し、画面上には「※冗談です」というテロップが流された。
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田原は80年代、ジャニーズ事務所を背負って立つトップアイドルだった。当時、アイドル同士の交際は御法度の時代だったが、同時期のスーパーアイドル・中山美穂との交際報道では大混乱を招いた。
1989年1月、中山との半同棲が『FOCUS』(2001年休刊、新潮社)にスクープされたのだ。田原は当時、ドラマ『教師びんびん物語2』(フジテレビ系)の教師役で役者としても大ブレーク中だった。同誌には、中山(当時18歳)が田原(当時27歳)の愛車・ポルシェの助手席に収まり、ともにマンションに入り込む姿が掲載された。
「2人は、1987年の『オールスターハワイ大旅行団』(同)での共演がきっかけで1988年ごろから4年ほど交際したといわれています。当時、中山は自身のラジオ番組で、『トシちゃん大好き』と発言していたことから、もともとは中山が田原のファンだったようです」(芸能ライター)
さらに1991年1月、2人は米・ハワイに“婚前旅行”へと旅立ち、交際は確固たるものとなった。当時、マスコミは“ハワイでプロポーズ”などと大騒ぎとなり、空港は大混乱と化した。だが、2人はハワイ行きをそれぞれの事務所に知らせておらず、激怒させたという。このあたりから2人はギクシャクし始めたといわれ、その結果、同年に2人は破局に至ったとされていた。
翌92年3月、中山は『FOCUS』のインタビューに応じ、田原との交際について「みんなと同じような恋愛でした。彼の望むことに全部応えてあげたいと思うような……」と答えたという。同誌はこれを、「中山美穂が田原俊彦と別れたホントの理由--6年間の恋の総括で『結婚より仕事』」として破局の詳細を報じた。
中山は一時真剣に田原との結婚を考えていたが、1992年のはじめに、中山の方から「別れたい」と切り出し、田原が承諾したという。2020年5月、ニュースサイト『週刊実話WEB』で中山が事務所の猛烈な反対にあい別れに至った旨が報じられており、破局は事務所によって引き離されたことが原因とみられる。
中山は2002年6月、作家・辻仁成と結婚し、2004年1月に長男を出産。しかし、2014年7月に離婚した。一方の田原は1993年10月、元モデルの女性と結婚し、翌94年2月に長女の女優・田原可南子、後に次女が誕生した。
破局後、2人の人生は大きく左右されたが、現在も第一線で活躍している。冒頭の田原の発言を中山が聞いていたとしたら、今何を思うだろうか。