5月23日、中日が中村紀洋・一軍打撃コーチと二軍打撃担当の波留敏夫コーチの入れ替えを発表した。落合英二ヘッド兼投手コーチの新型コロナ感染により一軍登録されていた小笠原孝コーチのファーム復帰も伝えられたが、驚いたのは中村コーチの“降格”。球団スタッフは衝突などキナ臭い話は全否定していた。
しかし、意味シンな言葉も口にしている。
「監督の判断ですので」
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中日のチーム打率は2割4分6厘。高い数値ではないが、昨季リーグワーストから3位に引き上げている(同時点)。また、石川昂弥や岡林勇希、根尾昂などの若手も結果を出しつつある。
「チームは5連敗で、交流戦(5月24日)に突入します。20勝24敗の借金4、波留は2014年から中日でコーチをしており、選手たちとの付き合いも長いです。起爆剤になれば」(名古屋在住メディア)
「監督の判断」というのも気になる。立浪和義監督の就任はファンが待ち望んでいたこと。とは言え、その就任にはこんな事情も隠されていた。
「現在のコーチスタッフですが、立浪監督の要望が全て叶ったわけではありません。球団が“推薦”したコーチも何人かいます」(球界関係者)
球団推薦のコーチが誰なのかは分からない。だが、中村コーチは立浪監督がお願いした人事であったことは間違いないようだ。
「石川を育てたいと立浪監督は考えていました。長打力のあるバッターを育てるにあたって、アベレージを稼ぐタイプよりも、ホームランバッターだったコーチに見てもらった方が絶対に良いんです」(前出・同)
現役時代の中村コーチと言えば、フリーエージェント交渉でのゴタゴタや内部批判などの黒歴史も思い出される。金髪、無精ヒゲ姿でプレーしていたため、“孤高の雰囲気”も醸していた。
中日では07年から2季プレーしているが、FA権を行使して楽天に移籍してしまった。
「06-07年オフ、前在籍チームのオリックスから“事実上の解雇通告”を受けました。再起のチャンスを与えてくれたのは中日、当時の中日スタッフはFA宣言しても残留すると見ていました」(ベテラン記者)
“ウラの顔”もあった。ベンチ裏の控え室に入ると、ブ厚い手帳に対戦投手の印象、変化球の軌道、カウント別の配球傾向などを事細かにメモしていた。それは引退するまで続けられていた。
「バットのグリップに子どもの名前を書いていました。優しいし、豪快な風貌とは違って、本当は臆病なくらい慎重な人」
近鉄、オリックス時代を知る複数のOBたちがそんなことを話していた。
現役を退いたあと、学生の指導にもあたっていた。技術、体力ともに未熟な学生に教えることがもっとも難しいとされる。
「メモ魔」で、繊細。立浪監督は若手の育成を託したのだろう。「立浪監督の判断は正しかった」と言われるには、シーズン後半に中村コーチが新たな大砲候補を一軍に送り込むしかない。(スポーツライター・飯山満)