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巨人・原監督が誤算続きのCSに激怒!「一度もベストメンバーを組めなかった」 菅野中4日起用も苦渋の決断だった?

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原辰徳監督

 6回裏の攻防が全てだった。クライマックスシリーズ・ファイナルステージ第2戦で高津ヤクルトが勝利し(11月11日)、日本シリーズ進出に王手を掛けた。

 試合後の巨人・原辰徳監督のコメントが興味深い。

 「(試合の)流れが我が軍になかなか来ないところで、こっちが動いて、相手を動かして、好転させたいというのがあった」

 動くこと、仕掛けることの難しさを語っていた。淡々とした口調だった。そういう風に語る時の原監督は、はらわたが煮えくり返るくらい怒っているのだ。よほど悔しかったのだろう。

 >>巨人・原監督の試合後コメントにファン怒り「野手陣も叱れよ」 炎上の山口に苦言も沈黙打線にはお咎め無し?<<

 6回裏のヤクルト攻撃中だった。二死二、三塁。8番・西浦を迎えたところで、原監督は自らマウンドへ行き、「申告敬遠」の作戦を通告した。満塁策を選択した理由は、次打者にある。この時点でのスコアは0対1。ヤクルトがリードしている。ヤクルト先発の高橋奎二は6回まで巨人打線をゼロに抑えていた。その高橋に打順を回らせ、

 「追加点が欲しい場面ですよね? 高橋に代打を送らないんですか。高橋の後に出てくるリリーバーの調子は…」

 と、ヤクルトベンチを揺さぶったのだ。

 高津臣吾監督も決断し、代打を送った。結果は菅野智之が「四球、押し出し」という、巨人サイドにとっては最悪な結果となってしまった。

 「当初、菅野は第3戦か、4戦目に先発する予定でした。ファイナルステージ初戦を落としたので、中4日の登板に繰り上げたんです」(スポーツ紙記者)

 8番の西浦と勝負をしていたら…。野球に「もしも」の話はタブーだ。しかし、短期決戦において、「動かない」の選択をして勝利したシーズンもあった。1989年の日本シリーズだ。

 近鉄バファローズに3連敗を喫し、当時の巨人首脳陣は慌てた。4連敗のストレート負けを喫する危険性もあり、エース・斎藤雅樹の登板を前倒しする進言もされた。しかし、藤田元司監督は予定通り、香田勲男をマウンドに送った。

 89年の巨人が3連敗の後に4連勝し、日本一になったのは、藤田監督の名采配としてプロ野球史にも刻まれている。

 「動く、動かない」の最終選択権は指揮官にある。成功する時もあれば、その反対もある。しかし、こんな指摘も聞かれた。

 「今季は原監督が積極的に仕掛けて、辛うじて3位をキープできました。1人の打者に対し、カウントの途中で投手交代をした時もありました。故障者、不振選手の多いシーズンだったので、『仕掛けていく』の選択しかできなかったのでしょう」

 複数のプロ野球解説者がそう語っていた。

 「仕掛けていく」という意味で言えば、残されたカードは、主砲・岡本和真だ。左脇腹を痛めているとのことで、CSは出場登録からも外されている。ここまで出番がないところからして、一部で囁かれている重傷説にも真実味が帯びてきた。

 「終盤戦、岡本は調子を落としていましたが、本当は痛めた箇所をかばっていたのでは? これからの選手なので無理をさせるべきではない」(前出・同)

 もう、一つも負けられない。最後までベストメンバーで戦うことができなかった。今季の敗因は戦力不足ではない。選手の体調管理について、改善しなければならないことがたくさんありそうだ。(スポーツライター・飯山満)

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