昨年までは編成上の特性と、ホームの横浜スタジアムが狭くホームランが出やすい環境にあることも関連していると思われるが、19年は盗塁40個、20年は31個と2年連続でリーグ最下位の成績。93年に横浜ベイスターズと球団名を変更してからは、97年の87個が最多となっており、スチールを武器にしている印象は少ない。
しかし、横浜大洋ホエールズ時代は、盗塁100個超えは7回をマーク。85年には脅威の188個を記録する、機動力溢れるチームだった。この年は近藤貞雄氏が監督に就任し、1~3番に高木豊氏、加藤博一氏、屋舗要氏を並べる“スーパーカートリオ”を結成。3人で計148個と走りまくり、翌年も屋鋪氏が48個で盗塁王を獲得するなど、彼らを中心に計180個をマークした。 最後に3桁盗塁となったのは、91年の130個で、屋鋪氏、高木氏は20個を超え、宮里太氏、高橋雅裕(当時・眞裕)氏、RJレイノルズ氏、清水義之氏の4人が2桁盗塁と、満遍なく走れるラインナップが揃っていた。
17日の練習試合でも、昨シーズンファームでチームトップの盗塁15個を決めている俊足の宮本秀明を、特別ルールにより5、7、9回と3回代走として起用。知野直人、中井大介と計3回の盗塁を企図するなど走塁への意識の高さが窺われた。宮本に限らず、神里和毅、関根大気、乙坂智、桑原将志の外野手陣に加え、ジャイアンツからFAの人的補償で加入した田中俊太と、走れる選手は決して少なくないベイスターズ。外国人選手は今なお来日未定となっている不透明な状況だけに、足を駆使して掻き回すスタイルは、番長野球の明暗を分けるキーポイントに成りうる。その先には30年ぶりの盗塁100個も見えてくるかも知れない。
文・写真 萩原孝弘