吉本興業には約6000人ほどの芸人が所属していると言われ、当然入れ替わりも激しい。現在、ほかの事務所で活躍する意外な元吉本芸人も存在する。
SMA NEET Project所属のバイきんぐは、コンビ揃って吉本芸人だった。芸人養成所のNSC大阪校を出た二人は、短期間吉本芸人として活躍するも鳴かず飛ばずで上京し、ワタナベエンターテインメントに所属。さらに、その後には一時期的に東京吉本へ「出戻り」を果たしている。ただ、どちらも1年ほどでクビになっており、うまくいかなかったようだ。
サンミュージックプロダクション所属のカンニング竹山も、福岡吉本のオーディションで合格し、芸人デビューを果たしている。同期には博多華丸・大吉がいた。1年ほどで事務所を辞めて上京。当時の福岡吉本は、大阪や東京へ行く場合は一度事務所を辞めるルールがあったためだ。上京後は中島忠幸さん(故人)とカンニングを結成し一時、渡辺プロ(当時)に所属するもすぐに退社、その後サンミュージック所属となるが、10年近くに渡って売れない苦労を経験している。
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『M-1グランプリ2020』(朝日放送制作・テレビ朝日系)の初の決勝進出も話題となったSMA NEET Project所属の錦鯉も、コンビそろって吉本出身だ。ただ経歴は異なり、長谷川雅紀は札幌吉本にオーディションで入り、コンビで北海道ローカル芸人として活動していた。渡辺隆は東京NSCの5期生。同期にはピースや平成ノブシコブシなどがいる。渡辺も5年ほど吉本で活動するが、なかなか芽が出なかったようだ。
さらに、ワタナベエンターテインメント所属のロッチも、コンビ揃って吉本芸人を経験している。NSC大阪校14期にコカドケンタロウがおり、16期に中岡創一がいた。卒業後は別々のコンビとして吉本で活動するが、鳴かず飛ばず。中岡は芸人を引退し5年ほど工場で働いていたことも。別々に上京後にコンビ結成に至っている。
こうして見ると、吉本興業の所属芸人の層の厚さと競争倍率の高さが改めて感じられるだろう。