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「ガオレンジャー」は、2001年2月18日から2002年2月10日までテレビ朝日系列で放送された東映制作の特撮テレビドラマ。百獣の王・ライオンを始めとする様々な動物をモチーフとしたヒーローが登場する。
酒井は登壇すると、純烈がこの「ガオレンジャー」の影響を強く受けたグループであることを紹介。「『ガオレンジャー』の経験がなければ、純烈は生まれていない」と断言し、「やり方が一緒なんです。純烈は、みんながみんなを応援しようよっていうグループを作ろうと思ったんです。だから、『ガオレンジャーだよこれ』って言っていたくらい。『ガオレンジャー2』ですよ」と、純烈と「ガオレンジャー」の関係を紹介。
放送当時は競馬で作った400万円もの借金があったといい、「ガオレンジャーでみんなと出会った時は、競馬で借金があって大変だったけど、僕だけでなく金子さんや堀江さんもそうだった。撮影中もなんとかしようって、そんな話をロケバスで一緒にしていて、“現実戦隊”みたいでした」とため息。
ガオレッドの金子も「まさか20年経って、いまだに『ガオレンジャー』としてお仕事をいただけるのは本当に幸せなこと」と感慨深げ。「来年20周年なので、何かやれればとも思っています。コロナもありますから、期待をせずにみなさん待っていてください」と述べ、「『ガオレンジャー』を東京国際映画祭で上映なんて、奇跡はあるんだなって」としみじみと述べる。
柴木は撮影当時18歳だったといい、「一番大変だったのは堀江くん。撮影中に芝居のことを熱く語ってくれるけど、言ってること面倒くさいし難しいし、何言っているんだろうって。金子くんはいい人でした。自分がまだ右も左も分からない中、(そういう楽しい仲間が身近にたくさんいて、)1人じゃなくてよかったなって思いました」と当時の撮影を振り返る。
イベントには、同作のプロデューサーだった日笠淳、横塚孝弘、声優の稲田徹も飛び入り。同作でハイネスデュークオルグ・シュテンの声を担当していた稲田は「ガオレンジャーは戦隊で初めてのレギュラー」だったといい、「ワンクールで退場ですごくがっかりしたのを覚えています。わたしは戦隊との相性は声優界一番いい」と戦隊シリーズには数多く出演したとのこと。酒井ともその後、仕事などで共演する機会が多かったといい、「酒井さんとは『ガオレンジャー』後に新宿のロフトプラスワンで地下にこもって、楽しいことをたくさん一緒にさせてもらったりしました。また、新宿の地下に帰ってきてほしい」と酒井に呼びかけていた。
(取材・文:名鹿祥史)