当初予定の3月20日からは約3カ月も開幕が遅れていることもあり、フラストレーションやイライラをためた選手も少なくないと思われる現状。今から約30年前のこの時期には試合中のイライラが予期せぬアクシデントに発展した試合がある。
1989年5月31日に、神宮球場で行われたヤクルト対阪神の一戦。6回裏、打席に立っていたヤクルト・パリッシュに対し、阪神のルーキー・渡辺伸彦が頭部付近への投球を連発。ついには左腕に死球を与えてしまうが、これにパリッシュが激高しバットを投げ捨てながら渡辺に詰め寄った。
この様子を見た阪神捕手・岩田徹はすぐさま背後からパリッシュを制止するが、パリッシュは制止を振りほどきながら岩田にチョップをお見舞い。これを受けた岩田がパリッシュにつかみかかったところに両軍が殺到し、押し合いへし合いの乱闘が勃発。乱闘が収まった後、審判がパリッシュに暴力行為による退場を宣告して試合は再開された。
しかし、同戦でのアクシデントはこれだけにはとどまらなかった。先ほどと同じ6回裏、パリッシュに死球をぶつけ乱闘の引き金を引いた渡辺が、今度はヤクルト・中西親志の頭部付近に球を投げてしまう。尻もちをつきながら回避した中西は、立ち上がってすぐに渡辺へ猛突進。阪神内野陣が身を挺して中西の突進を止めたところに、両軍選手が飛び蹴りをしながら乱入し再び乱闘が展開された。
乱闘の間、渡辺はヤクルト選手・コーチに外野グラウンドまで追い回されるもかろうじて捕まらず。しかし、2度目の乱闘を呼んだ投球はさすがに審判も許さず、渡辺に同年から導入されていた危険級退場を宣告した。
セ・リーグ第1号の危険球退場者となった渡辺、死球に食いかかったパリッシュ、そして後述する阪神・岡部憲章と3人もの退場者を出した同戦。試合はヤクルトが「13-9」で制したが、敗れた阪神にも7本のホームランが飛び出すなど乱打戦となった。
2度も乱闘を呼んだ渡辺は、試合後に「すっぽ抜けただけで狙ってはいない」と故意ではなく、たまたまコントロールが乱れたことよるものと語ったとされているが、その投球には伏線があったのではともいわれている。同戦の3回裏、ワイルドピッチに乗じて三塁から本塁への生還を狙ったパリッシュが、ベースカバーに入っていた岡部と交錯。岡部は足を痛め負傷退場してしまったが、渡辺の投球はこの件を受けた報復的な意味合いがあったのではとの見方もある。
なお、同戦で大暴れしたパリッシュが翌1990年にヤクルトから阪神へ移籍したため、渡辺は因縁の相手とチームメイトになることに。ただ、周囲の心配をよそに、渡辺とパリッシュは同年の春季キャンプ中に握手をして和解したという。
順調にいけば6月2~14日に予定されるオープン戦・練習試合を経て、6月19日に開幕する今シーズン。延期期間でたまった選手のフラストレーションが、思わぬ方向に向かわないことを願うばかりだ。
文 / 柴田雅人