元々は中国で病気や災厄除けを祈願する行事だったものが日本に伝わり、厄除けの菖蒲を飾ったり、ヨモギなどの薬草を摘み、病気や禍をもたらす悪鬼を退治する行事となって定着していった。その後、武家が力を持つようになると、菖蒲が「武を尊ぶ」という意味の「尚武(しょうぶ)」という言葉と結び付けられ、江戸時代に男の子の成長を願う行事へと姿を変えていくことになる。
そもそも旧暦の5月は梅雨の時期であり、カビが生えやすく体調も崩しやすい時期であった。当時の人々は、病気や災害などはそれをもたらす悪鬼によるものと考えていたため、それを祓う別の行事も存在していた。いわゆる「さつき忌み」と言うもので、田植え前に身を清めた女性が菖蒲やヨモギで屋根をふいた小屋にこもり、中で神を迎えるというものだった。宮中行事である端午の節会でも、香りの強い菖蒲を身に付けたり、菖蒲を丸く固めたものを飾っていた。
さて、菖蒲やヨモギが用いられた理由の一つに、その強い香りがある。西洋のニンニクしかり、昔から強い香りを放つものは邪気を祓ったり清めたりすると考えられていた。特に清涼感のある良い香りを放ち、また武家の台頭する時代には真っ直ぐ伸びる葉が刀と似ているとされたことから、邪気祓いに用いられるようになった。菖蒲の根を細かく刻んで入れる菖蒲酒を飲んだり、室町時代には風呂に入れて楽しむ菖蒲湯の習慣も生まれるようになった。
ちなみに、菖蒲と言うと、美しい紫色の花を咲かせるハナショウブと混同しがちだが、邪気払いに用いられる菖蒲はまた別物である。葉の形状は似ているが、一番の特徴は花の形だ。菖蒲の花は緑色で円柱状の肉穂花序(にくすいかじょ)となっており、葉の途中から5センチ程度の穂が生えたような形になっている。
目立つ花が咲くわけではないので、アヤメやハナショウブと違って自然界で見つけるのは大変かもしれないが、探してみてはいかがだろうか。
(山口敏太郎)