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お笑い芸人 豪快伝説 其の二『爆笑問題』

 お笑い芸人。コメディアン。エンターテイナー。そんな彼たちがかつて刻んだ偉大なる伝説、爆笑列伝を紹介していく連載の2回目。セカンドバウトは、役者(田中裕二)、小説家(太田光)としての才能も発揮させている爆笑問題だ。

 今でこそ、爆笑問題(田中裕二と太田光)をテレビで見ない日はない。が、太田プロダクションからデビューした2年後の1990年、一方的な独立が原因となっておよそ3年間、芸能界を干されていたのは、あまり知られていない。その時代を支えたのが、太田の妻で、所属事務所のタイタン社長・太田光代だ。

 仕事がゼロの時代、光はニート。そんな光でもお笑いの才能があると信じて疑わなかった光代は、パチンコ、パチスロでアルバイト。質屋通い、内職までした。その間、光は月に1度のお笑いライブのネタを書くだけ。やがて、映画の脚本、監督、役者の仕事が舞い込むように。勝機を見出した93年、光代はタイタンを設立するや、爆笑問題は「NHK新人演芸大賞」を受賞。のちのボキャブラ・ブームに乗って、現在の地位まで上りつめた。

 ところが、好事魔多し。タイタンが軌道に乗ろうとしていた98年、所属芸人のキリングセンス(解散)の萩原正人が、B型肝炎から肝硬変を発症。余命半年を宣告された。そのとき、誰よりも尽力したのが光だった。

 海外移植の手があることをネットで調べ、専門家に確認。渡航費、滞在費、手術費として、最低5,000万円が必要とわかると、トリオジャパンという移植患者のボランティア団体を探し、萩原と妻をアメリカに旅立たせた。

 夫婦が成田を発つその日、光はマネージャーに1本の高級時計を握らせた。「『爆笑問題の日本原論』が10万部を突破した記念に、宝島社から贈られたもの。これを持ってから運が開けたから」。マネージャーはそう言って時計をわたし、萩原がしていた安いデジタル時計と交換した。結果、成功率が低かった腎臓と肝臓の同時移植は成功。日本人初の快挙だった。

 現在、萩原は「ハギワラマサヒト」の名前で、文化人としてタイタンに所属。安いデジタル時計は、光の宝物だ。(伊藤由華)

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