引退の原因の一つがブレーキの利かなくなった肥満。相撲協会に残っているKONISHIKIさんの現役時代の公式最重量記録は284キロだが、引退前年は300キロを超えていたと言われている。
大相撲界を辞めた後もこの肥満は一向に改善されず。ついに去年2月、タレント活動を休止してホノルルに戻り、胃袋の一部を切除し、小さくする究極のダイエットに踏み切った。
この荒療治、まだ日本人ではやる者がほとんどおらず、肥満人間の多い元力士でも初めて。KONISHIKIさんは力士時代に厳しい稽古で鍛えていたため、内臓脂肪がほとんどついておらず、「3時間の手術予定がその半分で済んだ」という。
半分、命がけでチャレンジした甲斐あって手術は大成功だった。手術直後は1日で10キロも減量するなど、おもしろいように体重が落ち、いまでは手術前の半分以下の130キロ。他の人から見ればまだ丸々と見えるが、以前に比べると体全体が別人のようにスリムになり、頬もすっかりこけた。
しかし、なにもかも順調にいったワケではない。あまりにも急激に、それも強制的に体重を落としたため、体に対する負担は大きく、胃が痛くなって食事が摂れなくなったり、歩けなくなって車いすで移動したりしたこともたびたび。救急車で運ばれたこともあった。最近、ようやく症状も落ち着き、1年半休んでいたタレント活動を本格的に再開。この夏、あちこちのハワイアンショーに出演し、本場の歌を披露した。
◎舞の海が巨漢・小錦を打ち破るも大ケガ
相撲の醍醐味の一つに「小よく大を制す」という取り組みがある。体の小さい力士が体の大きい力士を倒すことだ。
そんな取り組みでやはり印象に残っているのが、巨漢・小錦と小兵・舞の海(現・解説者)であった。
とくに96年7月場所の2日目。前頭8枚目の小錦と、同じく前頭11枚目の舞の海が対戦した。実力の差はさほど変わらなかったが、当時、300キロの小錦と100キロの舞の海との体重差は約200キロ。
これまでも何度となく両者は対戦。力の衰えが顕著な小錦と技能賞5回の実績を持つ「技のデパート」舞の海とでは、舞の海が勝ち越しを収めていた(通算では7勝5敗)。
この一番も舞の海が勝ちを収めたが、その時、舞の海の伸びた左ひざの上に小錦の巨体が直接乗り、舞の海は「左ひざ内側側副じん帯損傷」の大けがを負った。この傷は舞の海の引退まで引きずることとなった。