旧道に沿って流れる渓谷が滝になっているあたり、そこが「花魁淵(おいらんぶち)」である。織田信長の甲州征伐により武田氏が滅亡したとき、金山奉行は金山の秘密を守るために遊女の皆殺しを実行した。渓谷の上に舞台を造り、遊女たちをだましてここで宴を開いた。そして、舞台ごと眼下の滝壺に落として皆殺しにしたのである。
このときに殺された遊女の数は55人とされ、滝壺は血で真っ赤に染まったという。また、遊女たちは他の場所で殺され、死骸をここに投げ込まれたという説もある。どちらにしても、大量虐殺があったことだけは間違いない。