さんまは高校3年生の時に、笑福亭松之助に弟子入りする。松之助はお笑い芸人ではなく落語家である。そのため、さんまは当初は落語家として内弟子修行を始めた。師匠から与えられた芸名は笑福亭さんまだった。これは実家が水産加工業をしていたことから付けられたもので、さんまは当初この名前を気に入っていなかったようだ。
20歳前の青年にとって、落語家修行は息が詰まってしまったのだろうか。さんまは、間もなく当時交際していた女性とともに東京へ駆け落ちしてしまう。東京ではパチンコやアルバイトで生活していたという。持ち前の面白さを発揮し、イベント司会などで、ものまねネタを披露することもあったようだ。幻の無名の新人時代と言えるだろう。
だが、東京暮らしも半年ほどで挫折し、大阪へ戻り師匠の元を訪れる。松之助はさんまが戻ってくることを見越して、「今、うちの杉本ちゅうのが出ていってるけど、また戻ってくるので」と周囲に伝えていたという。さんまは破門されるものと思っていたが、あっさりと弟子修行に復帰する。ただ、ケジメをつけるために笑福亭の亭号を外し、松之助の本名(明石徳三)から取られた明石家を名乗った。同じ亭号を持つ人物としては松之助の長男である明石家のんきがいる。
さんまが笑福亭を外したのは、松之助がさんまのタレント適性を見抜き、そちらの方が活躍しやすいだろうと考えたのと、うるさ型の師匠たちから、出戻りのさんまにクレームがつかないようにするためだった。さんまの気持ちを考えての配慮だと言えるだろう。こうした師匠から温情を向けられた経験があるがゆえに、現在のさんまも宮迫に目をかけるのかもしれない。