たかじん氏と昵懇の仲だった橋下徹大阪市長が、その死を契機に共同代表を務める『日本維新の会』の再建に大きく舵を切ることが予想され、熱い注目が集まっているのだ。全国紙政治部記者がこう話す。
「橋下は、8日の会見で『優しくて、強い人でした。元気に復帰されることをずっと願っていたのに残念です』『38歳で知事になれたのも、たかじんさんのおかげ』と涙したが、たかじんは闘病中も橋下と『日本維新の会』の不振ぶりを、ずっと気にかけていた。『お前、国のこともええけど、大阪市長なんやから大阪をなんとかせぇ』『大阪都構想は、どうなってんねん』『東京や自民党と対立軸をもたな、成功せえへんぞ』などとハッパをかけていたのです。そのため、たかじんの死を悼む橋下がこの遺言を実行に移すのではないかとの見方が、維新内部に急速に広まりだしているのです」
ただし、こうした観測が広がるのも無理からぬ話と言うほかはない。
たかじん氏は、政治家・橋下徹の「後見人」とも呼ばれた人物。'08年の大阪府知事選時に各方面から出馬要請を受けた際に「今しかない。政治家として頑張れ!」「2期やってもまだ46歳!」と背中を押した話は有名だが、まだ無名だった弁護士時代の橋下氏を陰に日なたに支援し続けてきたからなのだ。
「一言で言えば、総合アドバイザー。橋下は政治や経済、人脈、女の話までたかじんさんに相談にのってもらっていた。というのも、たかじんさんはまだ駆け出しのタレント弁護士だった橋下を、『たかじんのそこまで言って委員会』に準レギュラー出演させ、それをベースに橋下は大阪府知事、市長にまで上り詰めた経緯があるからです。府知事選で、民主党が推薦した大学教授に80万票の大差をつけて圧勝したのも、この番組で知名度を上げたおかげといわれているのです」(在阪のテレビ局関係者)
また、大阪府知事に当選してからは、政治家・橋下徹の人脈作りにも一役買っていたほど。別の民放テレビ局関係者がこう語る。
「ご存知の通り、橋下さんは後に平松邦夫大阪市長を追い落として市長の座についたが、当時は『大阪のために』とたかじんさんが2人の親睦会をセッティング。たかじんさんの自宅や放送局で会食させたりしていた。また、たかじんさんは北新地の会員制バーを橋下に紹介。このバーを舞台に橋下は関西財界の関係者らと密会を重ねていたのです。つまり、橋下さんにしてみれば、引退した島田紳助以上に橋下人脈を支えてもらった立役者なのです」
それだけに、橋下氏が偉大な後見人の死を機に、再起をかけた党改革に打って出る可能性が極めて高いと見られているのだが、気になるのはその方策だろう。
実は、『日本維新の会』内部では、すでにこんな噂が広まっているのである。
「橋下はたかじんさんの死以降『もう一度政界に送り出された時の原点に立ち戻らなければ、申し訳ない』と漏らし始めているという。それが原因で、たかじんさんが日頃、橋下に掛けていた言動ににわかに注目が集まり始めているのです」(『日本維新の会』関係者)