今から37年前の1972年、札幌で冬季五輪が開催された。その時、日本選手団は男子スキー70メートル級ジャンプで、金・銀・銅を獲得、表彰台を独占した。そして「日の丸飛行隊」と呼ばれた。この時の金メダリストが笠谷幸生だった。
笠谷は43年8月17日、北海道余市郡大江村(現・仁木町)で生まれた。4歳の頃から遊びでジャンプを始め、中学3年生の時には兄・昌生(スキージャンプ選手。昨年2月死去)に連れられて社会人の羽幌炭鉱と明治大学の合同合宿に参加、大人顔負けのジャンプを見せ「仁木から神童が現われた」と評判になった。
59年、笠谷は余市高校に入学するが、スキー部の方針でインターハイに出場できず、その怒りを闘争心に変えて、そのシーズンのあらゆる大会で優勝し続けた。
60年の新潟でのインターハイで笠谷は3位に入ると、それを契機に海外遠征もこなした。そして63年2月の第2回STV杯ジャンプ大会では日本人2人目の100メートルジャンパーとなった。
海外での国際大会では、70年のメルディックスキー世界選手権の70メートル級で銀メダル。72年の欧州ジャンプ週間では開幕3連勝を成し遂げた。そして札幌五輪の金メダルとなった。銀メダルは今野昭次、銅メダルは青地清であった。
笠谷はその後の76年、シーズン前に兼任していたコーチ業に専念するため現役を引退。オーストリアに留学してコーチとしての知識を身に付けた。そして帰国後は、全日本代表のコーチとしてジャンプ選手の育成や強化に努めた。
01年、全日本スキー連盟担当理事でジャンプ部長兼ヘッドコーチに就任。03年には紫綬褒章を受章した。現在は札幌スキー連盟副会長を務めている。