デビュー曲は『白いバスケットシューズ』。アイドルソングとしては珍しいタイトルだが、ちょっと特殊なタイトルだったこともあり、大きな話題を呼んだ。当時バスケ部でもない私は、白いバスケットシューズをなぜか購入していた。みっちょんのイベントに参加する時は、必ずこの白いバスケットシューズを履いていて、みっちょんもオレのバスケットシューズを見て喜んでくれたのが印象的だった。
5枚目のシングル『心の扉』の新曲キャンペーンが1986年3月に新宿NSビル大時計広場で行われた時のことが自分にとって強烈な印象として残っている。イベント開始時間は13時だったのに対して、入場は10時だった。会場の中に入ってビックリしたのが、そこには座席が無かったからだ。最初はオールスタンディングなのかと思ったが、全員が床に座って観るスタイルだった。入場から3時間もの時間を狭い座りスペースで待機しないといけない現状で、客席で待機しているファンたちの多くは、苛立っていて、私もこの状況に痺れを切らしていた。
3時間が経過して、ようやくみっちょんがステージに登場すると、これまでの苛立ちは完全に吹っ飛んでしまった。ピンクのホットパンツに白いノースリーブで登場したみっちょんは、笑顔で客席に手を振りながらセンターステージへと向かっていった。まずは表題曲の『心の扉』とB面の『哀しみのレイン』を歌唱。この2曲の間に、何十回いや何百回と客席のファンに向かって手を振っていた。みっちょんはファンと目が合うと高い確率で手を振り返してくれるので、客席での手振りはいつもすごいことになっている。他のアイドルではあまり見ることができない光景なので、みっちょんのイベントは人気が高く、いつも大盛況なイメージがある。新曲キャンペーンということで、5曲程度の歌唱で終わってしまうが、握手会では時間を掛けてファンと会話をしてくれる。いわゆる今で言う「釣り」という行為かもしれないが、アイドルファンは、今も昔も優しく接してくれるだけで高まってしまう。それがアイドルファンの性でもある。
ファンを大切にしてくれるステージを見せてくれるみっちょんだが、出待ちでの対応も素晴らしかった。TBSの玄関前で遭遇した時だが、大きな荷物を持っていたにも関わらず、その荷物を下に降ろして握手や記念撮影の対応をしてくれたりしてくれた。どう考えても確実に早くスタジオに入らなくてはいけない時間なのに、こういう優しさを見せてくれる姿は、アイドルとして本当に尊敬できる行動だと思う。
そんなみっちょんに魅了された私は、ある日みっちょんの所属してる事務所に行く機会があった。ファンクラブの入会について聞くという電話でも済む問題だが、そこはあえて足を運んでみた。事務所には当然ながらみっちょんはいなかったが、マネージャーがいてしばらく談笑させてもらった。ここでマネージャーから非売品のみっちょんの名前の入った腕時計を頂いた。非売品ということで、実際に使うことが無かったが、今でも私の宝物として部屋に保管していことは言うまでもない(笑)。
アイドルとしての活動期間は6年くらいだったが、90年以降はアイドルから女優へとシフトして、しっかりと芸能界への足場を固めていった。この頃からみっちょんと私の距離はかなり離れてしまったが、今でもドラマなどで見かけると嬉しい気持ちになってしまう。現在放送中の昼ドラ『明日もきっと、おいしいご飯〜銀のスプーン〜』(フジテレビ系)にも出演中なので、今では毎日みっちょんに会っている気もする。このドラマの主演は富田靖子だが、みっちょんも富田も私もみんな同い年なので、同年代の頑張りを見ると私の刺激にもなっているので、これからも女優として突き進んで欲しいものだ。
(ブレーメン大島=毎週土曜日に掲載)
【ブレーメン大島】
小学生の頃からアイドル現場に通い、高校時代は『夕やけニャンニャン』に素人ながらレギュラーで出演。同番組の「夕ニャン大相撲」では元レスリング部のテクニックを駆使して、暴れまわった。高校卒業後は芸人、プロレスのリングアナウンサー、放送作家として活動。現在は「プロのアイドルヲタク」としてアイドルをメインに取材するほか、かつて広島カープの応援団にも所属していたほどの熱狂的ファンとしての顔や、自称日本で唯一の盆踊りヲタとしの顔を持つことから、全国を飛び回る生活を送っている。最近、気になるアイドルはNMB48の三田麻央。