この情報が流れたとき、ネット上で多くの日本人が「犬を食べるなんて…」と憤る声が多く流れた。圧倒的多数の意見は「犬のように賢くてかわいい動物を食べるなんて許せない!」というものである。
言いたいことはわからなくもない、この意見だけだと、一部動物愛護団体が「イルカやクジラのような賢くてかわいい動物を食べるなんて許せない!」という理論とまったく同じになってしまう。問題は「密輸」であることと「犬の捕獲経路」「食の安全」ではないだろうか?
密輸は当然犯罪である。その犬を誰かが飼っていたものであれば窃盗になる。野良犬であった場合、食の安全に疑問が残る。
ちなみに昭和の中ごろまで日本にも犬食の伝統はあった。つまりつい最近まで日本人は犬を食べていたのである。もちろん精肉店に売っていたのではなく、野良犬や自宅で飼っていた犬を食べることが稀にあったらしい。
古来日本には仏教と神道の影響により天武天皇4年(676年)に肉食禁止令が出ている。これは「絶対に肉を食べてはいけない」という意味ではなく、人々はそれなりに肉食をしていた。その食べていた肉は、牛や豚よりも、狩りで獲れた獣肉か犬が多かったようだ。戦国時代にポルトガルからやってきた宣教師のルイス・フロイスは「日本人は野犬や鶴、大猿、猫、生の海草などをよろこぶ」と書き残しているくらいだ。
江戸時代になると、肉食はかなり減る。
幕末に来日したアメリカ人の外交官タウンゼント・ハリスが、伊豆の下田にアメリカ領事館を構えていたころ、牛乳が欲しくて幕府の通訳に求めたことがある。
当時の日本人には牛を食べるどころか牛乳を飲むなんて習慣はなかったから、そんなキテレツな要求をされた日本人は心底ビックリしたという。当時の日本では、牛は農家の玄関先で飼われていた。人間と同居しており、また重要な労働力だったから、食べる事は何よりも残酷なことと認識されたし、子牛に与えるべき牛乳を奪うなどという発想もなかった。
それに比べると、むしろ犬の方が日常的に食べられていたという。なぜかというと、農耕民族である日本人にとって牛は労働力。しかし犬は狩りでもしない限りあまり役に立たないので、食用にもされていたという事だ。
逆にいえば、狩猟民族であるヨーロッパ人が犬を食べないのは、狩猟のパートナーとして役に立つから、食べるよりも使役するほうがいいと考えられたためと言える。
今でも中国やベトナム、韓国などで犬を食べる文化があるが、これらの国も農耕民族で、犬はあまり役に立っていないからと考えられている。
ちなみに日本でも韓国料理店にいけば、犬鍋が出されているのだが、その犬肉は中国からの輸入が主であるらしい。農林水産省の統計によると、犬肉の輸入量は2007年に77トン。ここ10年くらいで10倍くらい犬肉の輸入量が増えているとのこと。
そしてその犬肉がはたしてどれくらい衛生的であるか、安全であるかはまったくの疑問である。
参照:http://ja.wikipedia.org/wiki/犬食文化
(山口敏太郎事務所)