彼自身は今年が30周年に当たることを全く知らなかったそうだ。
「家族や事務所の方に言われて初めて気が付いたほど。30周年を目指してきたわけじゃないし、達成感というものはないですね」
この映画祭にしても自ら企画・発案したものではなく、周囲の後押しで実現したものだ。
「僕の回りに奇特な方が大勢いらして(笑)、映画祭をやって下さると。皆さんに感謝です。他の映画を掛ければ客も入るだろうに、1週間も日替わりで上映して下さるなんて申し訳ないやら。それにスクリーンに映し出される昔の自分の姿を見られるのも、すごく恥ずかしいですね」
それでは当人の口から各日の上映作品についてコメントしてもらおう。
◇17日(土)「博多っ子純情」(78)
記念すべきデビュー作。長谷川法世の人気漫画を、曽根中生監督で映画化した作品だ。
「高校の同級生からオーディションに誘われて、僕だけ合格したという(笑)。当時まだ17歳でしたから、もう毎日が楽しかったですね。周囲は30〜40代の大人たちばかりで、みんなに可愛がってもらったというか、遊んでもらってました。撮影が進むうち、こういうことに携わっていけたらいいなと思うようになって。それが俳優の道に進むきっかけでした」
◇18日(日)「ハッシュ!」(01)
間もなく最新作「ぐるりのこと。」が公開される橋口亮輔監督の代表作。
「橋口監督は撮影に入る1カ月前に若い役者だけ呼び、台本は渡さずに設定だけを与えて、エチュードみたいなことをやりました。台本に深みを与えるため、みんなに演じさせて、質問して、足して、引いてって」
◇19日(月)「BORDERLINE」(02)
06年に「フラガール」が大ヒットした李相日監督の商業デビュー作。PFF(ぴあフィルムフェスティバル)で入賞した李監督が、その賞品として製作した映画だ。
「出演のオファーがあったとき、ぜひ出演させて下さいとお答えしました。李さんは俳優に何をやらせたいのか、明確に伝わる監督ですね」
◇20日(日)「『エロス番長』シリーズ〜ユダ」
名匠・瀬々敬久監督がDVやレイプなど、現代日本の深層をドキュメンタリータッチで描いた作品。
「頭のいい監督さんで尊敬しています。それに年が近いんでシンパシーを感じますね、互いに心持ちが分かり合えるというか。他の監督さんよりは、やりやすい気持ちがあります」
◇21日(水)「一発逆転リハビリ刑事(デカ)」
俳優の大森南朋が監督を手がけた「刑事(デカ)まつり」シリーズの一編。
「大いなる大人の映画の遊び…ですね。大森さんから“やってよ”って言われて。最低5回はギャグを入れるなんて鉄則あって、撮影は面白かったし、楽しかったです」
このほか、劇場未公開作の上映予定もあるそうだ。
◇22日(木)「colors」(06)
柿本ケンサク監督は光石がデビューした82年生まれ。人生はやり直すことが可能か? という哲学的命題をポップに描いている。
「柿本監督は映画監督というよりマルチクリエイターと呼ぶのがふさわしい異色の作家ですね。当時は22か23で、僕が一緒に仕事した中で一番若い監督でした。スタッフも監督の同級生など若い人たちばかりで、すごく楽しかったです。若い人たちと気持ちは同じでいたいって、僕も思ってますから」
◇23日(金)「Helpless」(96)
最終日は青山真治監督の劇場デビュー作。「光石研=コワイ人」を印象付けた、役者人生の分岐点ともなった作品だ。
「青山監督とは10数年のお付き合い。この作品のおかげで、役者としてもう一度呼吸できるようになったという感じです。青山監督は軽々しいことが言えないほど尊敬してます。この作品以降、僕自身も彼の影響を受けてますしね」
この日「海流から遠く離れて」という作品も同時上映される。これは映画ではなく、横浜国立大学が志望者の高校生に見せるためのPRビデオだ。
「大丈夫か? って内容です。見た生徒が受験をやめる恐れもあるんじゃないかと(笑)。青山組みんなで作った作品で、僕は何もしてません。ただ図書館とかグラウンドとか校内を少しプラプラ歩いただけ(笑)。俳優ってことで監督に呼ばれたのに、現場で何をやるでもなく。映画祭の最後に上映していいのかな? って気もしますけど(笑)。でも、ただうなずくだけの演技に深い意味を持たせるとか、俳優にとって最もプリミティブな仕事が凝縮されていると思いますので、ぜひご覧下さい」
このように、若い映画作家たちと一緒に仕事をする機会も多い光石だが、映画の撮影現場は昔も今も変わらないと語る。
「撮影現場に大きい小さいはあっても、カメラの位置やライティングなど撮影そのものは変わりません。撮影の段取りは監督の年齢や国籍じゃなく、個性によって変わります。ただ、若い人より年寄りのほうが経験値があるので、それが演出に反映されることはあるでしょう。まあ、それも監督の個性の範囲内だとは思いますが」
光石が30歳代半ばのころ、日本映画に大きなうねりが出てきた。ちょうどバブルが弾けた90年代中期、単館上映の作品が増え、それにつれて出演オファーも増えてきたのだ。
「メジャーだろうとインディーズだろうと、いただいたオファーは片っ端からこなしていこうと。大作だから出る、小さい作品だから出ないというより、この監督と一緒にやりたいとか、こうした気持ちのほうが僕は強いですから。だからかな、何度か一緒に仕事したことのある監督さんのほうが、やりやすいってことはあります。青山監督がそうですね。初めて仕事して、また10年後に一緒に仕事できたら素直にうれしいです。僕はそうした出会いを求めて仕事しているところがありますね」
30年前はハリウッド全盛で邦画の観客動員数はジリ貧だった。それが現在では逆転し、邦画の観客のほうが多くなった。この先、日本映画界はどうなるのだろうか?
「僕は映画界の末端にいるんで(笑)、上層部についてはよく知りませんが、お金の流れとか作品の流通方法などは変わって来てるなと感じます。でも、俳優は現場にいるので大きな流れまでは分かりません。何十億円もかけた大作映画だろうと撮影現場に変わりはありません。キツイことはキツイですから(笑)」
一方、96年にはピーター・グリーナウェイ監督の「枕草子」、99年にはテレンス・マリック監督の「シン・レッド・ライン」など、外国人監督の作品に出演したこともある。
「好奇心はくすぐられますけど、仕事に臨む姿勢は基本的に日本の現場と変わりませんね。撮影現場も段取りが違うぐらいで、あとは一緒ですし。一番違うのは向こうの人がフレンドリーなとこですかね。一緒に楽しもうよってスタンスで迎えてくれますから、その点やりやすかったです」
最後に今回の映画祭にかける意気込み(?)で締めくくってもらった。
「楽しんでもらえるかどうか分かりませんが、来ていただけるとうれしいです。映画の隅っこに出続けているので、こんなに地味にやっている俳優もいるんだと、ぜひ気が付いて下さい(笑)」
〈プロフィール〉
みついし けん 1961年9月26日生まれ、福岡県出身。高校在学中の78年に「博多っ子純情」でデビュー。大作からインディーズまで幅広く出演。日本映画に欠かせない名バイプレイヤー。すでに今年も「歓喜の歌」「砂の影」「奈緒子」「SweetRain 死神の精度」「パークアンドラブホテル」が公開され、さらに「DIVE! ダイブ」(6月公開)、「20世紀少年」(8月公開)も待機中だ。