浅田は、病院でもよく希林さんの世話をしていたとのこと。ある日、入院先で処置をすることになり、先生が浅田らに退出するよう指示を出すと、その時すでに筆談でコミュニケーションを取っていたため、希林さんは紙に「この子も役者のはしくれなんだから、全部見せて」と書いて医者に渡してきたという。結局、浅田は病室にとどまることになったのだが、「見たくはなかった」と本音をこぼし、鶴瓶を笑わせた。続けて、希林さんの最期の日を回顧。退院することになり、希林さんが快適に暮らせるように事前に準備をしたという。無事、希林さんが家に戻り、その日は夜の10時頃まで一緒にいた。しかし、「明日また来るね」と浅田が帰った後、亡くなってしまったという。
一方、鶴瓶は兵庫県西宮市にある自宅に突然、希林さんが訪問した日のことを語る。当時は、奥さんが対応したそうなのだが、後にその話を聞き、面識がなかった鶴瓶は大変驚いたとのこと。共演した際に、その件について触れると、「土地の安そうな家に住んでいるわね」と言われたと述べた。
また、希林さんを追うように内田裕也さんが亡くなったが、浅田は「“早くいらっしゃい”と呼んだとしか思えない」と一言。生前も「私は1日でも多く裕也よりも生きるの」と言っており、なぜかと問うと「あんな人置いていったら、みんなに迷惑がかかるでしょ」と話していたことを振り返った。
「鶴瓶や浅田がたびたび共演している明石家さんまについても、トークをしていましたね。鶴瓶がさんまによく怒られるという話をすると、浅田が“よく出しちゃうから”と、生放送でしでかした、“チン事件”について触れていましたね。当時は、鶴瓶が中継先にいて、さんまから“兄さんあきまへんって!”と怒られたと振り返っていました」(エンタメライター)
希林さんが企画し、遺作ともなった映画『エリカ38』には浅田も出演中。ヒットすることを願いたい。