■大阪落語家家族殺人事件
現在は空き名跡となっている落語家の名前に「桂梅枝」がある。
「梅」は上方落語の名跡である桂文枝の初代の前名である梅香から、そして文枝の「枝」を取り入れた由緒正しい名前であるのだが、100年近くに渡りこの名前を襲名した噺家はいない。
それは1917年に大阪市を恐怖に陥れたある事件が影響している。この年の5月31日午前2時半頃、三代目桂梅枝こと鹿野惣吉の自宅で大きな物音がし、住民が覗いてみると、女性の死体が二つ転がっていた。この死体は梅枝の内縁の妻(44歳)と娘(20歳)で、その妻は全身に刺し傷を34箇所も作られ死亡。娘もまもなく死亡した。
家主の梅枝は留守中であり、女だけしかいない家を狙った強盗の仕業とみられ、警察は人相書きを作り犯人を追った。結果、数日後に捕まり、犯人は鳥取刑務所から出所したばかりの前科6犯の男という事がわかった。犯人は翌年、死刑に処されたが、最愛の妻と娘を失った梅枝の悲しみは大きく、落語ができなくなってしまい、しばらくして引退。その後の足取りは不明となっている。
この事件は古いため、芸能史では振り返られることはないが、その余りある残虐性から、殺人事件を扱った書籍に掲載されることがある。
■高島忠夫長男殺害事件
昨年、2019年6月にこの世を去った昭和の大スター・高島忠夫。
彼は人気絶頂期に最愛の長男を殺害されるという悲劇に遭っている。1964年8月24日未明、世田谷署に高島家から連絡が入った。
部屋が荒らされ、生後5か月の高島忠夫の長男・道夫ちゃんがいなくなっていたのだ。しばらくして、家の風呂場で溺死している道夫ちゃんが発見され、深夜に高島邸へ忍び込んだ強盗の仕業ではないかとされた。
しかし、真実は違った。犯人は高島家で働く家政婦のA子で、彼女は自分に代わり家族に愛される道夫ちゃんに嫉妬し、強盗に襲われたふりをして道夫を風呂に沈めたという。その後、高島家は二人の息子(高嶋政宏、高嶋政伸)に恵まれたが、悲しみは大きくこの事件を振り返ることはなく、妻・寿美花代は当時の事件に深い傷を負い、湯船に浸かれない日々が続いているという。