たけし軍団は、もともとビートたけしが草野球をやるため集められた若手芸人の集団が母体となっている。現在のメンバー以外にも多くの芸人が出入りしており、石橋は名門である帝京高校野球部出身のため、ピッチャーとしてかなり重宝されたようだ。だが、自分の立場がなくなることを恐れた東国原が「石橋は忙しい」とウソをつき、草野球に呼ばなくなったようだ。石橋のように一歩間違えばたけし軍団入りしていたといえるが、同様の人間はほかにもいる。
「1980年代末か90年代はじめにかけて、バラエティタレントとして活躍した野沢直子は、本気でたけし軍団入りを願い、たけし本人にも直談判までしたそうです。しかし、『女はダメ』と断られ、かなり悔しがっていたようですね」(芸能ライター)
さらに男性でも、あの脚本家や俳優にたけし軍団入りの可能性があった。
「『あまちゃん』『木更津キャッツアイ』など数多くの名作を手がけた宮藤官九郎は、もともと『ビートたけしのオールナイトニッポン』(ニッポン放送系)の熱心なファンで、たけしの前で合いの手を入れる高田文夫に憧れ放送作家を志しますが、同時にたけし軍団入りも画策していたようです。この世代の若者ならば誰もが一度は抱く衝動だといえるでしょう。俳優の浅野忠信は、父親が石倉三郎のマネージャーをしていた関係で、子どものころに『風雲!たけし城』(TBS系)の収録現場によく遊びに行っており、将来はたけし軍団に入りたいと思っていた時期もあるようです」(前出・同)
芸能界の歴史のifとして、幻のたけし軍団メンバーを並べてみるのも面白そうだ。