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山口敏太郎の直言(9) 夢を捨てたのを誰かのせいにしていないか?

 人は十代の頃、それぞれ自分のあり方に関して“夢”を持っている。勿論、まったく夢をもたない人物もいるにはいるが、大部分の人が己の将来に関してなんらかの“夢”を持っている。その“夢”の種類や規模は個人によって違うものだが、若き頃の“夢”は人を動かす大きな要因となっている。

 だが、その“夢”を実現できる人々は少ない。年をとるにつれ、人は若かりし頃に抱いた“夢”を思い出にしてしまい、記憶(メモリー)という保管庫の奥底にしまい込んでしまう。所詮、“夢”は“夢”でしかない。そう自分に言い聞かせて、目の前に広がる現実に目を向けて、妥協しながら生きていく道を選択する。
 これ事態は悪いことではない。ある意味、その妥協と諦めこそが大人への通過儀礼ともいえる。

 だが、中にはこの“夢”を諦めきれない人々もいる。彼らは本業とは別に趣味や副業として“夢”を実現したり、定年退職後に“夢”を追いかけたりする。中には本業で食いつなぎながら、“夢”を余技として継続し、軌道に乗った時点で本業と切り替えるという荒業を使う者もいる。無論、ストレートに“夢”というものにぶつかり、見事願望を達成する猛者もいる。

 最も問題視すべき連中は、“夢”を“夢”と割り切れない中途半端な立場でありながら、“夢”の実現も出来ない者たちである。つまり、妥協や諦めもできないうえ、成就もできない連中である。彼らは己の矛盾に気が付かない。
 “夢”を実現する努力をまったくしていなかったり、“夢”を実現するには才能がなかったり、常識や道徳が欠如しており、それが“夢”の現実化の足をひっぱっているにも関わらず、“己のミス”や“己の責任”を認める事が出来ない。
 さらに、自分の“夢”が実現しないことを他人のせいにしていることが多い。このタイプの人間は、“根拠の無い自信”や“想像力豊かな妄想”により、『自分の夢が実現しないのは、○○のせいだ』と平気で主張し、自分のおろかさに気が付かない。彼らは己の夢を捨てたことを、いつも他人のせいにしているのだ。

 所詮、どんなに言い訳しても“夢”を捨てたのは己の意思であった。誰のせいでもないし、他人の陰謀でも圧力でもない。“己の成功”も“己の挫折”も全て、自分が原因なのだ。貴方は、“夢”を捨てた事を誰かのせいにしていませんか? (山口敏太郎)

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