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その他 2015年02月11日 17時00分
徹底検証・徳川埋蔵金の真実 トレジャーハンター・八重野充弘 第6回 兵法研究家・剣持汎輝の発掘(前編
徳川幕府の御用金は『八門遁甲』という古兵法によって埋蔵されているといわれる。赤城山麓で初めて継続的な発掘を行った水野智義・義治父子、後続の元警察署長・三枝茂三郎をはじめ、ほとんどの探索者が、残された物証を八門遁甲の秘法に従って解き、示された場所にたどり着こうと懸命に知恵を絞った。しかし、いまだに誰一人として解読に成功したものはいない。 その中でかなり核心に迫っているのではないかと評価できる人物が2人だけいる。1人はまだ現役で調査を継続中なので公表できないが、ここでは1980年(昭和55年)に78歳で死去した、高崎市の剣持汎輝の事績についてご紹介する。 筆者が剣持とコンタクトしたのは、亡くなる前年のことだった。直接会うことはなかったが、電話で何度か話し、手紙も数通もらった。おそらく自分の寿命を悟り、それまでの成果を誰かに伝え、後を託したいという思いだったのだろう。 剣持の家には代々『源家訓閲集』という古兵法書が伝えられてきたという。これは、平安貴族で学者だった大江維時が、唐から持ち帰った兵法書を日本風にアレンジしたものが基になっていて、源氏の武将をはじめ、以後の戦術家たちが改良を加えて伝えてきたものらしい。徳川幕府にも最後まで、同系統のものが徳川流兵法として伝授されてきたという。 筆者が八門遁甲について調べ始めたのは、剣持と知り合う2年ほど前のこと。最初は何ら資料がなく途方に暮れたが、しばらくして、占いの『奇門遁甲』がこれと同じものだということを知り、ようやく国会図書館で目にしたのが、明治17年に出版された『八門遁甲要録』(全4巻)だった。ただこれも、今で言えば年初に発行される十干十二支や九星に基づく運勢表のようなもので、しかも序文には「中国伝来のこの占術の極意を知るにはあまりに資料が乏しい」と書かれていた。 おそらく八門遁甲は、武士の支配階級のごく一部にだけ、書き物にせず口授口伝で伝えられてきた秘中の秘だったのだろう。現在は占術の形でしか残っていないが、かつては兵法も、吉凶をさまざまな方法で占い、それを戦術に組み込んでいたと思われる。 また、太閤秀吉の埋蔵金など、この秘法で隠されたと伝えられる他の埋蔵金についての文書などを調べていくうちに、軍用金の調達や配備などに関するノウハウも盛り込まれていたことが想像できた。 剣持は最初から徳川埋蔵金を狙って八門遁甲の研究を始めたわけではない。家伝の源家訓閲集の中身を理解しようと、易学、九星術、四柱推命、陰陽五行論の哲理について研究していたところ、たまたま徳川埋蔵金関係の文書と出会う。 文書を持ち込んだのは、一時、水野義治の発掘を手伝っていた桜井柾寛で、桜井が急死したため、その後を引き継ぐことになったのだ。それが1966年(昭和41年)のこと。 文書は3種類あった。一つは水野父子も三枝もよりどころとした『双永寺秘文』。あとは、千葉県の旧家から出てきた『椎名家秘文』と、水戸徳川家にあったという若月三郎ヱ門兼隆なる人物から勝安房守に宛てた『将軍秘 認証状』だ。 このうち、双永寺秘文と椎名家秘文には多くの共通点があった。一八六、二九七、三一八、四二九、五三、六四、七五という数字の並びと、「七臣ニ達スレバ分証揃テ茲ニ一将顕ル」(双永寺秘文)、「上州赤城山津久田原七臣伏して大将軍を守る」(椎名家秘文)のくだりだ。「一将」「大将軍」が埋蔵金を表し、七つの手掛かりをたどっていけば、そこに到達できるということではないか。 そして、二つの文書の要素を抽出し、試行錯誤の上につくり上げたのが、円盤状の埋蔵設計図である。円の中心から24の行に区切り、十干と十二支、易の乾・坤・巽・艮(運勢や方位の吉凶を占う基本図像)それぞれを配置したものだ。埋蔵実行者はこれと同じものをつくって事を進めたと考えた。 将軍秘 認証状の方は、大判小判や金の延べ棒一万六千二百十六貫を運んだなど、記述が具体的だが、「徳川亀之助」とか「越前堀」とか「伝馬船清快丸五十五隻」といった言葉が、脈絡がなく唐突に出てくる。剣持はこれが、設計図をたどっていく手引書だと気付く。その解釈に、これまで研究してきた東洋占星術の知識が役に立った。 まず「徳川亀之助」は、16代目の将軍になるはずだった家達の幼名で、易のルーツである『亀卜』につながることから、これが基点を表すものと解釈した。他の語句も一字一字細かく分析し、そこに潜む方角などを割り出した。 そのプロセスはあまりに複雑なため全ては説明できないが、ともあれ、剣持は赤城山麓に基点と考えられる場所を発見した。原野の中にぽつんと立つ十二神社である。(続く)八重野充弘(やえのみつひろ)=1947年熊本市生まれ。日本各地に眠る埋蔵金を求め、全国を駆け回って40年を誇るトレジャーハンターの第一人者。1978年『日本トレジャーハンティングクラブ』を結成し代表を務める。作家・科学ジャーナリスト。
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レジャー 2015年02月11日 17時00分
キャバ嬢が生まれる瞬間(32)〜生霊を飛ばしてキャバ嬢になった女〜
井口ゆきな(22歳・仮名) 生霊を飛ばすなんてなかなか理解してもらえないと思うんだけど、私は肉体から意識が抜け出すことが多々あるんだよね…。一般的には幽体離脱って呼ばれるのかな。最初は中学生の時だったと思う。その日は学校のマラソン大会があって、とても疲れて帰ったのを覚えてる。それで部屋に着くと着替えもすることなく制服のままベッドに倒れこんだ。マラソンで体はヘトヘトなんだけど、友達と順位を争って勝利したことの興奮状態もあったからなのか、脳が覚醒して全然眠れなかった。 それでもやがてウトウトしてくると、なぜか耳鳴りが聞こえはじめたんだよね。「なんだろうな〜うるさいな〜」って意識が朦朧とする中で思ってて。それで寝返りをうったら、ゴロンという感じで体から意識が抜け出したわけ。次の瞬間、自分の顔を真上から見下ろしてた。 それからはたまにベッドに横になっていると同じように意識が抜けることがあって、フワフワと外を飛べるようになった。まあそんな感じで幽体離脱を覚えた私は大学の時に初めて彼氏が出来たのだけど、彼は頻繁に友達と遊ぶからって理由で連絡が取れなくなることがあった。嫉妬深い私は彼が浮気しているじゃないかと疑って、布団に入ってからもずっとそのことを考えていたら、いつのまにか彼の元へ意識を飛ばしてたわけ。そこはキャバクラで、楽しそうにお酒を飲んでる彼の姿があった。これを人に話すと、ただの夢だって言われるんだけどね。でも後で彼を追及したら「なんでわかったの?」って驚いてた。まあその理由を正直に話したら、気味悪がって後日、別れを告げられてしまった。 キャバクラ嬢になった理由はその時に見た煌びやかな光景が忘れられなかったから。今までお店の雰囲気なんてテレビとかでチラっと見かけたぐらいだったから特に気にしたことはなかったんだけど、幽体離脱中に見たゴージャスな空気に魅了されてしまったのだ。 ただキャバ嬢になってからは、幽体離脱の話はお客さんにしないようにしてる。一度「私、幽体離脱できるんだー」って話したら「ふーん、そうなんだー」って、かなり素っ気無い返しをされて、それ以降、話題に気をつけている。そりゃそうだよね。私だっけこんな経験してなければ、そんな話信じられないからさ。今は、向こうからオカルトな話がでないかぎり、ごく普通のキャバ嬢を演じて接客してます。(取材/構成・篠田エレナ)
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芸能 2015年02月11日 16時30分
R-1ぐらんぷりで功績を残したユニット芸人
今年は、ピン芸人のじゅんいちダビッドソンが優勝した『R-1ぐらんぷり2015』。02年からスタートしたピン芸人日本一決定戦は、昨年がやまもとまさみ、13年は三浦マイルドなど、文字通りピン芸人が優勝している。しかし、コンテストのブランド力を世に知らしめたのは皮肉にも、普段はコンビやユニットで活動している芸人だった。 同コンテストは、後援する関西テレビから誕生したため、最初は関西ローカルだった。しかし05年、芸人アイドルユニット・吉本印天然素材の頃は大人気だったものの、その後、表舞台から消えたほっしゃん。(現:星田英利)が、まさかの復活初Vを遂げたことで、業界から熱視線が注がれた。 翌06年、九州で絶大な人気を誇っていた漫才師の博多華丸・大吉の博多華丸が、児玉清(故人)のものまねで優勝。無名だったふたりの名を、一気に高めた。ふたりは、昨年末の『THE MANZAI 2014』でも優勝。漫才とピンのメジャー2大コンテストを制する、前人未到を達成している。 06年のこの時期、バカリズムや友近といった稀代の才能が発掘され、連鎖的に友近の交際相手だったコント集団、ザ・プラン9のなだぎ武も表舞台に。こちらは、ピンで07年&08年の2連覇を達成。この記録は、いまだに破られていない。 07年には、“M-1”覇者の漫才師、チュートリアル・徳井義実が、エロい外国人“ヨギータ・ラガシャマナン・ジャワディガー”に扮するひとり語りで、準優勝。翌08年には、「3の倍数と3が付く数字のときだけアホになる」話芸でブームを巻き起こした世界のナベアツが、第3位。当時は、漫才コンビ・ジャリズムを組んでいた(現在は解散)。 翌09年からは、漫才コンビのCOWCOW・山田興志(現:善し)と多田が、それぞれソロで躍進。多田は、12年に優勝。善しは、第6回から4年連続で決勝戦に進出している。ふたりはその後、“あたりまえ体操”でブレイク。動画サイトでは、驚異的な再生回数を誇った。 今年の“R-1”も、08年の“M-1”覇者であるNON STYLE・石田明、同コンテストの常連だったアジアン・馬場園梓など、腕のある漫才師が目立った。今後も、ソロで功績を残したいと発動する芸人は出てきそうだ。(伊藤由華)
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社会 2015年02月11日 16時00分
77歳女性殺害事件 名古屋大女子学生“リケジョ”の狂気(2)
しかし高校では、こんな一面も見せている。 「とにかく化学実験が大好きで、薬品コレクターでした。調合した薬品を飼っていたハムスターに飲ませて次々と殺してしまい、公園の隅に埋めた、なんて話も聞いたことがあります。普段は物静かでしたが、感情の起伏が激しい一面もあり、周囲に薬品の効果などを力説するので、呆れられることもありましたよ」(同級生) さらに一昨年5月、高校の昼食時にM容疑者が同級生の男子生徒にジュースを振る舞ったときのこと。 「そのジュースがどこで売っていたのかと聞くと、化学実験で自宅で作ったと言っていた。それで男子生徒が何日か彼女手製のジュースを飲み続けるうちに、体に異変が生じ始めたんです。最初は足に力が入らなくなって、全身がだるさに襲われるようになった。男子生徒は入院後7月に退院して動けるようになったが、今度は視力が低下し始め、片目がほぼ見えなくなってしまったんです」(M容疑者を知る人物) 当時、学校側もこの件を警察へ通報したが、学校で保管している薬品には該当するものがなく、犯人を特定するには至らなかった。しかし今回の逮捕による取り調べでM容疑者は、「あれは自分が毒を盛った」と供述しているという。 そんなM容疑者が森さんと知り合ったのは、宗教の勧誘がきっかけと見られている。 「森さんはエホバの証人の熱心な信者で、勧誘のために昨年10月、女子学生の部屋を訪ねていた。当時のM容疑者のツイッターには、広島カープファンの名大生が来たことが記され、10月10日に《カープの次はエホバかよ…》と書き込まれている。事件当日にも名古屋市昭和区の教団施設で森さんとM容疑者が目撃されています」(地元記者) 森さんが殺害された当日、《ついにやった》とM容疑者が書き込んでいたツイッターには、かつて大量殺人を犯した人物たちを礼賛し、それぞれの誕生日に《HAPPY BIRTHDAY宅間守》《今日は加藤智大さんの誕生日です。皆さん祝いましょう》《酒鬼薔薇聖斗くん32歳の誕生日おめでとう》などと、祝いのメッセージも書いている。 さらに昨年、《神様が悪ふざけで自分を作ったとしか思えない》《日常を失わずに殺人を楽しめることが理想なんだと思う》と記し、大学入学直前の3月12日には《『死にたい』とは思わないけれど『死んでみたい』とは考える。『殺したい』人はいないけど『殺してみたい』人は沢山いる》と、殺人への強い衝動を書き込んでいた。 「Mは中学校の卒業文集に『みんな、これまで有難う。また会おうゼ!』と短い男言葉を残し、すでに同時期、自宅近くのホームセンターで殺害に使用した長さ37センチの手斧を購入。高校生時代にこれを持ち続け、大学進学で名古屋に転居した時にもこれを携えていたわけです」(前出・地元記者) 単なる憧れから生まれた狂気なのか。“リケジョ”の心の闇は深そうだ。
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芸能 2015年02月11日 15時14分
東尾修、娘夫婦との同居に「距離感が微妙ですね」と悩む
プロ野球解説者の東尾修と、娘の東尾理子、元格闘家の魔裟斗と矢沢心夫婦が10日、都内で行われたヘーベルハウス「二世帯住宅の日」制定記念イベントに出席。 2月10日を“二(2)世帯住宅(10)の日”として制定された記念イベント。修氏は、娘の夫・石田純一との同居に「距離感が微妙ですね。意外と気を遣うんですよ。野球では気を遣うこと無いのですが…」と話し「彼がウエルカムか分からないし…」と悩みを告白。 また娘の理子は、「子供の事が中心になって、主人の事を忘れがちなんです。主人が可哀想だなと思います。主人との時間を大切にし、デートの時は子供を見てもらいたいと思ったりします」と話すと、修氏は「オレも一緒に行くよ! 冗談じゃない」と話し笑わせた。 また、魔裟斗は「両親と同居を考えたことがなかった」と話し、妻に対しては「よくやってくれている」と絶賛していた。
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スポーツ 2015年02月11日 15時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈アントニオ猪木vsウィレム・ルスカ〉
モハメド・アリとの格闘技世界一決定戦をぶちあげたアントニオ猪木。その前に立ちはだかったのがウィレム・ルスカであった。1972年ミュンヘンオリンピックの重量級&無差別級金メダリスト。これまで五輪柔道において、同一大会で2階級を制覇したのはルスカただ一人であり、その意味において、史上最強の柔道家と称しても決して過言ではないだろう。 柔道との出会いは10代も後半と遅かったが、生まれ持った強靭な肉体と人並み外れたパワーをもって一足飛びに頂点にまで上り詰めた。 「俺を差し置いて格闘技世界一などとは、しゃらくさい」と猪木アリ戦に割り込んだルスカ。そんな勇ましい宣言にふさわしいだけの実力と実績があったことに疑いの余地はない。 だが、その試合の契約書には「猪木に勝ってはならない」との条項があった。決して「格闘技最強」を目指したわけではなく、ファイトマネー目当ての参戦だったのだ。 ルスカと同じオランダ出身の柔道金メダリストに、東京五輪無差別級のアントン・ヘーシンクがいる。そのヘーシンクが国民的英雄として讃えられた一方で、ルスカが生活に困窮するまでに至った理由の一つには所属団体の違いがあった。主流派のへーシンクに対し非主流派のルスカは競技引退後、酒場の用心棒に身をやつしたりもしたという。 では、そうした経緯で行われた猪木とルスカの“プロレス”が“真剣勝負”ではないから価値がないのかといえば、決してそうではない。むしろ猪木の数多くの試合の中でも上位に挙げられる名勝負といえよう。 1976年2月6日、日本武道館。後に続く異種格闘技戦の第1戦−−。試合開始早々からルスカは払い腰で何度も猪木をリングに叩きつけ、裸締めや袈裟固め、腕十字で攻め立てる。対する猪木も柔道にはないエルボーやナックルパートの打撃技で逆襲すると、リング中央、コブラツイストで締め上げてみせる。 一進一退の攻防の続く中、倒れたルスカの頭部に容赦なく蹴りを放った猪木。これに対して怒ったルスカが柔道着を脱ぎ捨てると、その北欧人独特の白肌は真紅に染まっていた。 この試合前、ルスカは同門のサンボ王者クリス・ドールマンを伴って新日本プロレスの道場に出向き、猪木と手合わせをしたという。 「猪木の真剣勝負はアリ戦とパキスタンでのアクラム・ペールワン戦、韓国でのパク・ソンナン戦の計3戦だけ」などとまことしやかにいわれるが、その一方で「結果は決まっていても試合自体はナチュラルだった」との関係者の証言も多い。試合展開の筋書きを完全に作り上げることは猪木自身が好まなかったし、弟子たちにもやらせなかったというのだ。 そんな猪木が予行演習までしたというのだから、それほどにこのルスカ戦は、アリ戦に向けて決して失敗することのできない試合であり、猪木からしてみればこれこそが“真剣勝負”だったともいえるだろう。 そして、そんな猪木の意気込みは見事に成就する。バックドロップ3連発でルスカをTKOに下すまでは見せ場の連続。20分35秒というプロレスとしてはいささか長めの試合中、観客はひとときも飽きることなく歓声を送り続けることになった。 “結果が決められていない”という意味での真剣勝負、アリ戦と比べてみたときに、どちらの価値が高いかとなると意見も分かれようが、試合中の観客の熱狂度合でいえば明らかにルスカ戦が上回っていた。 大目標であるアリ戦の前に突如現れた大物刺客・ルスカ。これを見事討ち果たし大舞台へのステップを一段上がった猪木。 そんなストーリーラインから試合内容まで、全てが完璧にそろったという点で、やはり猪木vsルスカは日本格闘興行史でも屈指の名勝負といえよう。 激闘の末にバックドロップに沈んだルスカを見て、リングにタオルを投入したのはセコンドに就いたドールマンであった。そのドールマンは後に「オランダ格闘技界のドン」と称され、前田日明のRINGSを盛り立てるなど格闘史にページを刻むことになる。 アントニオ猪木とウィレム・ルスカ。それぞれの格闘遺伝子は、今なお脈々と受け継がれている。
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芸能 2015年02月11日 15時00分
鈴木京香、田中絹代賞に輝き動揺
「第69回毎日映画コンクール」表彰式が10日、神奈川県・ミューザ川崎シンフォニーホールで開催され、田中絹代賞に輝いた女優の鈴木京香が登壇した。 受賞した鈴木は「大きな賞をいただいてその重みに戸惑っています。こんなに自分が動揺するとは思っていませんでした。素晴らしい賞をいただいて心から感謝しています」と笑顔語り、「監督やスタッフの皆さんに色々教えていただき今日まで長く続けることができました。この賞に恥じないように日本の女性らしさを演じられる様にもっともっと努力していきたいと思います。お会いしたことは無いですが、このような機会を与えてくれた田中絹代さんに心からお礼申し上げたいと思います」と受賞の喜びを語った。(アミーゴ・タケ)【主要部門受賞者】日本映画大賞「私の男」(熊切和嘉監督)日本映画優秀賞「そこのみにて光輝く」(呉美保監督)外国映画ベストワン賞「6才のボクが、大人になるまで。」(リチャード・リンクレイター監督)監督賞 呉美保「そこのみにて光輝く」脚本賞 安藤桃子「0.5ミリ」男優主演賞 綾野剛「そこのみにて光輝く」女優主演賞 安藤サクラ「0.5ミリ」男優助演賞 伊藤英明「WOOD JOB!〜神去なあなあ日常〜」女優助演賞 池脇千鶴「そこのみにて光輝く」スポニチグランプリ新人賞 登坂広臣「ホットロード」スポニチグランプリ新人賞 小松菜奈「渇き。」田中絹代賞 鈴木京香
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社会 2015年02月11日 14時00分
大分の大交北部バス運転手が酒気帯びで路線バスを運行
大交北部バス(大分県大分市)は、同県豊後高田市の高田営業所の男性運転手(46)が酒気帯び状態で路線バスを運行したとして、2月2日付で懲戒解雇処分にした。 同社によると、元運転手は1月28日午前6時頃、同県国東市の伊美車庫に出勤し、結果を音でしらせる簡易型アルコール検知器を使い検査した。本社の運行管理者が電話口で機器の音を聞き、飲酒反応がないと確認した。 元運転手は同日午前6時半の伊美発・宇佐駅前行き、及び午前7時50分の宇佐駅前発・豊後高田行きの2便を運行し、高田営業所に到着した。 そこで、結果が印字される固定型検知器で再検査したところ、道路交通法の基準値を超える呼気1リットル中0.17ミリグラムのアルコールを検出したため、次の便の運転手を交代させた。運行した2便に事故はなかった。 同社では出勤時と退社時の1日2回アルコール検査を実施しているが、伊美など現地出勤となる車庫や貸し切りバスでは簡易型の検知器を使用していた。 簡易型検知器は使用に適した気温が10〜40度とされるが、伊美車庫で検査した際の室内の気温は10度を下回っていたため、正常に作動しなかった可能性があるという。 聞き取り調査に対し、元運転手は「前日の午後6時から同9時ごろまで焼酎を2合ほど飲んだ」と話しているが、13年にも酒気帯び状態で出勤して、処分を受けたことがあり、最も厳しい処分が下されたようだ。 再発防止に向け、同社は「現地出勤となる車庫で、測定数値と顔写真が運行管理者に送信される検知器を導入する」としている。 事故が起きなかったから良かったようなものの、バスの運転手は乗客の命を預かっている。朝早い勤務の前日夜は深酒を避けるのは当然のことだ。(蔵元英二)
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芸能 2015年02月11日 13時00分
「R-1」優勝・じゅんいちダビッドソン 「本田さんが生まれてきてくれたおかげ」
10日、日本一のピン芸人を決める「R-1ぐらんぷり2015」の決勝が行われ、サッカー日本代表・本田圭佑選手のものまねで有名なじゅんいちダビッドソン(40)が優勝を果たした。 開口一番、「これでミラノに行ける」と喜んだじゅんいち。“本田ネタ”は完全非公認なようで、「イタリアにいる本物(本田圭祐)の方に伝えたいですね」と安堵した様子だった。先日、結婚したばかりの妻を連れ、新婚旅行も兼ねてミラノに向かうという計画を明かした。 本田に会った際には、「おかげさまで優勝できました。本田さんが生まれてきてくれたおかげで、一回り上の僕がこういった形で活躍できている」と報告する予定だという。 勝因については「持ってたんでしょうね」と自信満々。今後は「芸能界の開いているスペースに走り込んでいきたい」と意気込んでいた。
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社会 2015年02月11日 13時00分
イスラム国人質だけじゃない! 安倍失脚を招くJA全中との全面抗争(1)
ついに、最悪の事態が発生した。会社経営者の湯川遥菜さん(42)の命を奪ったとされる過激派組織『イスラム国』が、残されたジャーナリストの後藤健二さん(47)殺害映像を動画サイトにアップしたことから、安倍政権が壊滅的な打撃を被っているのである。 「2月1日に投稿された後藤さんの殺害映像は湯川さんのケースと同じで、胴体と首が切り離された衝撃的なものだった。『イスラム国』はこの映像とともに、『お前の国民はどこにいても殺される』と日本に対して宣戦布告した。そのため、国内世論は事件の原因となった首相の中東支援を痛烈批判し、政権基盤が根底から揺らぎだしているのです」(自民党担当記者) もっとも、安倍首相を襲った“厄災”は、これだけではない。実は、国内からは別の火の手が上がり、安倍政権は“内憂外患”の危機に瀕しているのである。 農水省の担当記者が言う。 「それが、農協の元締めである『全国農業協同組合中央会』(JA全中=万歳章会長)の反乱なのです。461万人の正組合員を数える全国の農協を束ねる同団体は、選挙時に候補者の当落を左右する力を持つ一大組織だが、ここにきて内部から『全中を潰す気なら倒閣に動く』との声が飛び出している。これが原因で、4月の統一地方選を前に全面戦争に突入しそうな雲行きなのです」 同記者によれば、もともとこの騒動は安倍首相がTPP(環太平洋パートナーシップ協定)への参加交渉の遅れを取り戻そうとしたことが発端。農協組織が関税撤廃貿易の足かせとなることを見越した首相が、昨年5月に農協、農業生産法人、農業委員会の抜本的改革論をぶち上げたことから巻き起こったのだ。 無論、その際に全中は組織の解体を示唆する発言に痛烈批判を展開したが、同団体が反発した理由はこれだけではないのである。 「実は、首相がこうした策を弄した裏には、農協が保有する約400兆円のカネが絡んでいるともっぱらだった。米国にベッタリの安倍首相は、この莫大な農協マネーを狙って農協潰しに動いたとの観測が強まっていたのです」(同) ただし、それも無理もない話と言うほかはない。ここで言う莫大な金額は、JA共済が保有する約300兆円とJAバンクに貯め込まれた約90兆円の合算額。日本人の預貯金総額の約1割にあたるといわれるこのカネは、以前から「米国が市場開放を狙っている」と評判だったからなのだ。 「つまり、安倍首相はTPPの参加とその進捗に難色を示す米国に恩を売るために、全中の解体と農協法の廃止を訴えたのです。また、この策略は周到で、農協には正組合員の他に農業に携わっていない530万人の准組合員がいるが、今後はこの会員数が『正組合員の半数を超えてはならない』とする規定を設けるつもりという。農協組織が保有する400兆円のうち200兆円は准会員らの保険や預貯金額といわれており、農協を牛耳る全中を金銭的にも追い詰める魂胆なのです」(同) また、全国紙の政治部記者は、“全中封じ”にかじを切った安倍首相のさらなる策略をこう明かす。 「しかも、当初は全中と提携する全国700カ所余りの農協に対する監査権限の剥奪案、全中と傘下組織の都道府県中央会が地域の農協から一年間に集める380億円に及ぶ上納金も、なくす方針だったのです」 だが、そうは言っても全中は自民党と二人三脚で我が国の戦後農業を支えてきた看板組織。それが“全中憎し”に転じたのには、別の理由が存在するともいわれているのだ。 「その筆頭が、'09年の総選挙時に民主党が公約に掲げた農家への戸別補償制度。これに全国の農協がなびき、政権を奪われた恨みが大きい。また、以前は600万人もいた農協の正組合員数が目減りし、かつてはその発言で国会が空転するといわれた農林族の力が落ちたために、全中の解体に動いたとみられているのです」(自民党農林族議員) 要は、自民党の集票マシンとして機能してきた農協組織が民主党の揺さぶりで離反。その恨みがTPPへの参加準備と相まって噴出したわけだが、ここ最近の両者の攻防戦は枚挙にいとまのない状態なのである。 政治部デスクが言う。 「TPPへの早期参加を企てていた安倍首相は、全中の改革論をぶち上げる前に一貫してTPPへの参加に反対を表明していた西川公也農水相を一本釣り。党内の対策委員長に就任させ、反対派を骨抜きにしようと画策したのです。実際、この策略は大成功。昨年6月に開かれた自民党農林関係合同会議では、農協改革を痛烈に批判した農林族議員に対して西川氏が逆ギレ。『何を言っているんだ、小僧!』と意見を一蹴したほどなのです」
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