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アイドル 2016年04月04日 12時00分
KAT-TUN・亀梨の負傷出血に「萌えー」の声
ジャニーズグループ「KAT-TUN」のデビュー10周年記念のドームツアー「KAT-TUN 10TH ANNIVERSARY LIVE TOUR “10Ks!”」が3日、名古屋ドームからスタートした。田口淳之介が脱退して3人でのツアーとなるが、このツアーをもってグループは充電期間に入る。実質の活動休止だろう。 そこでさっそくアクシデントが起きた。亀梨和也が「NEVER AGAIN」の間奏でバク転を披露したときのことだ。 亀梨ファンは「装着していたアクセサリーで右手の平付近を負傷して右手から出血したんです。傷から流れ出る血を吸っては吐いてを何度か繰り返していたんですが、なかなか血が止まりませんでした。タオルで押さえて2曲くらいのちにスタッフから黒いグローブをもらい装着して、傷を隠していました」と語る。 お笑いを提供するバラエティー番組で血が出る行為がタブーなのと同様、夢を与えるコンサートという場でも血が出ることは望ましくないはずだ。 しかし、ファンの反応は「自分の血が唇につき赤く染まっていてエロかったわー」「ずっと血を吸ってはぺっと吐き出してを繰り返してたけどその一連の動作に萌えーだわ」「心配してた中丸とのやりとり! 爺孫! 萌えー!」などなど。心配する声もあったが、亀梨の仕草に「萌えー」なファンが多数だった。 この日、亀梨はレギュラーのスポーツニュース番組「Going!」(日本テレビ系)に出演。手の傷は分からない状態になっていた。 今後のKAT-TUNのツアーは4月20日の京セラドーム、4月29日からの東京ドームと続く。まだまだ目が離せない。
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アイドル 2016年04月04日 11時43分
ももクロ ドームツアーはグループ結成時には考えられない光景
2月20日に愛知・ナゴヤドームで開幕したももいろクローバーZのドームツアー『MOMOIRO CLOVER Z DOME TREK 2016 “AMARANTHUS/白金の夜明け”』が4月3日、“聖地”埼玉・西武プリンスドームで幕を下ろした。2月17日に同時発売された3rdアルバム『AMARANTHUS』が公演初日、4thアルバム『白金の夜明け』が2日目となる本ツアーは、愛知、北海道(1日だけ)、大阪、福岡、埼玉の9公演、のべ25万2,078人を動員。アルバムを引っさげたツアーとしては、自己最高動員となった。 開演前から、「ももクロシルク」と名づけられた大道芸人がジャグリングや玉乗りをおこない、満場の客を飽きさせない創意工夫。ライブでは、初のフライング、巨大バルーンに乗ってのパフォーマンス、おなじみの電飾フロートなどを採りいれて、少しでもモノノフ(ファン)に近づこうと5人は必死だ。 ソロパフォーマンスも充実。学生時代に新体操をやっていた百田夏菜子は、その柔軟性を生かしてフープダンスを披露。玉井詩織は、幼少期に10年習っていたピアノで、大ヒットシングルの『青春賦』、『MOON PRIDE』を伴奏し、メンバーと一緒に歌い上げた。佐々木彩夏は、シングルの『泣いてもいいんだよ』、『夢の浮世に咲いてみな』をエレキギターで演奏し、メロディの世界観を変わったアレンジで抽出させた。有安杏果は、ライブのマストソングをドラムパフォーマンスでセッション。高城れにはシングル「『Z』の誓い」などの冒頭を、華麗なタップダンスで彩った。 全公演でサプライズ発表があるのも、本ツアーの特徴。有安杏果の初ソロライブ(7月3日・横浜アリーナ)、佐々木彩夏の初ソロライブ(9月19日・横浜アリーナ)、百田&玉井のライブ『ももたまい婚』(9月4日、新潟県民会館)などが明らかになったが、西武初日には、初の米国ツアー『アメリカ横断ウルトラライブ』(ニューヨーク、ロサンゼルス、ハワイ)を発表(11月を予定)。ファイナルでは、突如バルーンに乗って登場した松崎しげるが、大ヒットソング『愛のメモリー』の歌詞で、恒例の夏ライブ『桃神祭2016 〜鬼ヶ島〜』(8月13・14日/横浜国際総合競技場=日産スタジアム)を発表した。 ラストは、グループ結成時にメンバーが歌詞の一部を担当した思い出のナンバー『あの空へ向かって』で締めると、号泣した高城が、「『あの空へ向かって』を作ったときからは、(ドームを満員にできることを)考えられなくて…。ここまで私たちに付いてきてくれて、ありがとうございます」と深礼。リーダーの百田は、「路上で歌っていたときには考えられない、そんな光景が今も広がっています。いつかまたドームツアーができたら、全会場満員にしたいし、もっとたくさんの人に笑顔が届けられるように大きくなれたらいいなって」と言葉にし、3万7,059人のモノノフの心をアツくした。(伊藤雅奈子)Photo by HAJIME KAMIIISAKA+Z
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芸能ネタ 2016年04月04日 11時14分
どうしても目立ってしまう藤原紀香
3月30日に歌舞伎俳優の片岡愛之助と結婚し、翌31日に2ショット会見した女優の藤原紀香が、このところ連日自身のブログを更新している。 2日のブログは「4/6地元西宮をパレード」のタイトルで更新。 「以前からお話をいただいておりました、交通安全啓発キャンペーン☆一日署長。4/6午後2時半から、兵庫県西宮市で地元の園児らと一緒にパレードするらしくとても楽しみにしています」と告知。「西宮市は、私が生まれ育った場所です。事故を減らすために何かお役に立ちたいと願い、今回の大役を引き受けさせていただきました。西宮市の皆さま、ぜひパレードでお会いしましょう」と自身の地元への“凱旋”で住民とのふれあいを心待ちにしていることをつづり、さらには、結婚発表以降、各方面から届いているお祝いの花の写真を掲載した。 お笑いタレントの陣内智則と離婚し、バツイチで愛之助と再婚した紀香だが、3日のブログは「人は、また幸せになる権利がある」とかなり意味深なタイトルで更新。 かと思いきや、同タイトルの映画を紹介し、ドラマで共演した女優の上野樹里やテレビの民放各局から花が届いていることを写真付きで紹介した。 「パレードを告知すれば、かなり人が集まることが分かっていてあえて告知。地元だけに、大勢の人に祝福してもらいたいというのが透けて見える。本来ならば、“梨園の妻”として愛之助をバックアップしなければならないにもかかわらず、女優気分丸出し。ますます、梨園からの反発が高まりそうだ」(演劇関係者) すでにブログでは、7月から8月上旬にかけて、出演する舞台の全国ツアーが開催されることを告知。さらには、6日からNHK Eテレの健康をテーマにした番組に出演することも告知している。 なかなか“裏方”として愛之助を支えるのは難しそうだ。
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芸能ニュース 2016年04月04日 11時05分
二階堂ふみ 映画『蜜のあわれ』“赤納め”撤回でPR
映画『蜜のあわれ』の舞台挨拶が2日、東京・新宿の新宿バルト9で行われ、二階堂ふみ、大杉蓮、真木よう子、高良健吾、永瀬正敏、韓英恵、渋川清彦、石井岳龍監督ら豪華キャストが勢ぞろいした。 作家の室生犀星が、晩年に発表した小説『蜜のあわれ』を映画化した同作品は金魚と作家と幽霊が織りなす艶やかで濃密な恋の物語。 二階堂は赤のロングドレスで登場し客席を見渡した。「ちらほら赤い洋服を身に纏っている方がいて嬉しいです」とニッコリ。今回の映画のプロモーションで何時も赤の洋服を身に着けているという二階堂は「映画のイメージが『赤』なので着させてもらっていたのですが今日で赤納めですね。色々な方がこの映画を見て赤い気分で劇場を出られたと思います」と笑顔で語った。 この話を聞いた石井岳龍監督は「今日で赤いドレスを終わりにせずもう1年ぐらい着続けて欲しいです」と懇願。二階堂は「ではもう少し赤を着たいと思います」と慌ててコメント。 「蜜のあわれ」は新宿バルト9他に公開中。
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アイドル 2016年04月04日 10時48分
チーム8 結成2周年記念沖縄公演 レポート
AKB48チーム8が、『「TOYOTA presents AKB48チーム8 全国ツアー 〜47の素敵な街へ〜」チーム8結成2周年記念特別公演 in 沖縄 めんそ〜れ!春のエイト祭り』を、4月2日(土)、3日(日)に、世界遺産に登録されている沖縄・中城(なかぐすく)城跡で行った。 リクエストアワーで発表された、チーム8 結成2 周年記念となる沖縄でのコンサートが、今週末2 日間にわたって行われた。両日とも、コンサートの前に「お祭り」としてファン参加型のイベントを開催。香川県代表の行天優莉奈による 「びっくり行天!危機一髪」、兵庫県代表の山田菜々美による 「ぴったり菜々ちゃん (ストップウォッチで7秒台を出すゲーム)」など趣向を凝らしたブース企画や、ステージ上でも宮里莉羅(沖縄県)が弾く三味線に載せてメンバーがカラオケをするなど、メンバーとファンが一緒になって、チーム8の2周年を喜び合った。 コンサートは、2周年記念にふさわしく、初日は「2年目最後の夜」、2 日目は「ハイサイ!3年目!」と題して行われた。コンサートのオープニングでは、メンバーも太鼓打ちに挑戦して、沖縄の伝統芸能“エイサー”を披露。「めんそーれ!」と、挨拶して幕開けした。 沖縄の空の下で披露されたのは、「桜、みんなで食べた」「10年桜」などの今の季節に合わせた楽曲や、海を間近に臨む会場ということで「パレオはエメラルド」「Everyday、カチューシャ」「ポニーテールとシュシュ」などのサマーシングルの数々。 さらに、「制服の羽根」「汚れている真実」「あまのじゃくバッタ」などチーム8 の楽曲の他、沖縄の守り神シーサーと共演した「恋するフォーチュンクッキー〜恋する充電プリウス2〜」、メンバーが演奏するギターやキーボードを交えての「365日の紙飛行機」など、多彩なセットリストで会場を盛り上げた。 3年目初日となる、コンサート2日目も、“エイサー”からスタート。「はいたい ぐすーよ ちゅーがなびら! (やあ みなさん こんにちは)」と、地元 ・沖縄出身の宮里による方言での挨拶も飛び出した。 また、4月3日 (日)に15 歳の誕生日を迎えた下尾みう (山口県)の生誕祭も行われた。下尾は“強い心を持って頑張る”という意味の 「確乎不抜 (かっこふばつ)」を座右の銘とし、15歳の1年間を過ごしていくことをファンの皆様の前で約束。コンサート中盤には廣瀬なつき(高知県)が、「チーム8 は今日3 年目を迎え、AKB48は11 年目に入りました。 先輩達が作ってくれた輝かしい道を、これからも一緒に走り続けて、チーム8 がAKB48 の中で1 番のチームと皆さんに言って頂けるよう、もっともっと頑張ります!」と宣言、会場を埋め尽くした2400名のファンの方々から拍手喝采を受けた。開催地代表メンバーということで、宮里にはサプライズで母親からの手紙が倉野尾成美(熊本県代表)より読み上げられた。手紙が読まれている間中、宮里はずっと目頭を押さえながら、ひと言ひと言に聞き入っていた。
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レジャー 2016年04月04日 09時00分
【第48回ダービー卿CT】マジックタイム悲願の初重賞制覇
競馬の「第48回ダービー卿CT」(芝1600メートル、3日日曜日・中山競馬16頭)は、中団を進んだA.シュタルケ騎手のマジックタイム(53キロ、単勝5番人気)が最後の直線で内から鋭い伸び脚を発揮、2着ロゴタイプ(58キロ田辺裕信騎手、単勝4人気)の追撃をクビ差抑えて優勝。悲願の初重賞制覇を達成した。1分32秒8。3着サトノアラジン(57キロC.ルメール騎手、単勝2番人気)1馬身1/4。単勝1番人気を集めたキャンベルジュニア(54キロ川田将雅騎手)は8着惨敗に終わった。 マジックタイムは父ハーツクライ、母タイムウィルテルの牝5歳馬(黒鹿毛)。馬主は(有)サンデーレーシング。戦績=17戦5勝。主な勝ち鞍=重賞初勝利。シュタルケ騎手、中川公成調教師とも初勝利。「配当」単勝(10)1300円複勝(10)340円(14)280円(6)160円枠連(5)(7)2280円ワイド(10)(14)1820円(6)(10)850円(6)(14)750円馬連(10)(14)6110円馬単(10)(14)1万2830円3連複(6)(10)(14)6930円3連単(10)(14)(6)5万9230円*レース結果については、必ずJRA公式発表でご確認ください。
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社会 2016年04月03日 18時00分
大阪「飛田新地」最新事情 中国人団体観光客が急増!
大阪西成区・飛田新地で中国人観光客が急増していたが、ここへ来てそれに拍車がかかっているという。 「中国人客は飛田の女の子に嫌がられていたのですが、その理由は遊び方にありました。受け身主体の飛田にあって、カネにものを言わせての責め一辺倒ですから当然の話。ところが最近はネットなどで情報が行き届いているためか、スマートな遊び方をする場合がほとんど。これで御茶屋が積極的に受け入れるようになったことが影響しています」(風俗記者) 飛田へのアクセスも、オプション扱いから観光ルートにしっかり組み込まれ始めている。 「興味があることに加え、観光名所に近いから行きやすいということもあるのでしょう。飛田の周辺で言えば、あべのや新世界、住吉大社とセットになったコースがあるようです。ハルカスや通天閣に行った後、女性は日本橋の免税店、男性は飛田というコースです」(旅行代理店関係者) “飛田観光”については、事情を知るガイドが何人かの希望者をこっそり連れ出すのが一般的だった。しかし今や、飛田新地旧大門前の国道沿いに観光バスが止まることも珍しくないのだ。 変化は相手をする女の子の方にも現れている。イヤイヤながら接客していたのが、中国人と積極的に向き合い始めたという。 「最近、言うことを聞いてくれる大人しい客が増えたんよ。それやったら日本人より中国人の方が楽でええわ。言葉が通じへんぶん喋らんでええもん。機嫌取るいうのはけっこうしんどいんよ」(従業員) しかし、一方ではこんな声も聞こえてくる。 「遊郭の風情を後世に伝えていくことも飛田の役目。外国語が飛び交いツアー客が闊歩するのでは、それは難しい。日本人は割引きするなどして、色街の情緒を守らなければいけません」(御茶屋関係者) 日本人観光客も負けていられない!?
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スポーツ 2016年04月03日 15時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈天国へ舞った天才レスラー〉
プロレスラーのハヤブサ(本名・江崎英治)さんが、3月3日、くも膜下出血のため永眠した。享年47。 2001年、試合中のアクシデントによりケイ椎を損傷。一時は生死の境をさまよい全身不随に至ったが、懸命のリハビリにより、最近では補助付きであれば自力歩行できるまでに回復していた。 リングから離れていた間は“シンガーソングレスラー”として、ライブハウスやプロレス会場での歌手活動を行っていたが、あくまでも目標は現役復帰だった。自ら「'19年にはレスラーとして再びリングに立つ」と宣言していたが、その道半ばでの無念の死となった。 ハヤブサの名が知れわたったのは'94年4月16日、両国国技館で開催された『スーパーJカップ』。当時、インディー団体の勃興により、ことジュニアクラスにおいては新日本プロレス、全日本プロレスにも遜色のないレスラーが頭角を表していた。それらが団体の枠を越えて一堂に会することで、この階級の活性化を図り、ひいてはプロレス人気の底上げにつなげる−−。獣神サンダーライガーの発案により、同大会は開催された。 国内のメジャー、インディーをはじめ、アメリカ、メキシコから全14名が参加したトーナメントの中で、最も知名度の低かったのがハヤブサだった。 '91年、大仁田厚率いるFMWに入団し、期待の新人として将来を嘱望されたが、当時のリングネームは本名の江崎英治。ハヤブサを名乗るのはその後のメキシコ修行中からであり、この大会は一時帰国しての参戦となった。 ハヤブサは1回戦の大トリで、大会の主役であるライガーの相手に抜擢される。 「ライガーが初戦を楽に勝ち上がれるよう、色モノ選手をあてたと見る向きもありましたが、事実はまったく異なります。ハヤブサの才能を見出し、無名だからこその大化けを期待してのマッチメークだったのです」(プロレスライター) その目算はズバリ的中する。ハヤブサは、長じゅばんを思わせる和テイストのロングガウンをまとって入場。マスクは頭頂部が覆われていないフェースガード風で、目の部分が通常よりも広く開かれ、目には歌舞伎のような鋭い隈取りがなされていた。 先に類を見ない斬新なコスチュームでありながら、奇矯なわけではない。初見となる両国の大舞台にも浮ついた様子はなく、その佇まいは一見して「ただ者ではない」と直感させた。 続いて入場したライガーが満員の観衆に向けて大見得を切っているところへ、ハヤブサは高さのあるドロップキックを2連発。場外に落ちたライガーに向けて、コスチュームのままトペ・コンヒーロを放った。 「リングの照明を背に受けて、ラメ入りのガウンがキラキラと光る。その裾を翻しながら宙を舞う姿はまさに千両役者で、日本のプロレス史上でも屈指の美しさを誇る名場面と言えるでしょう。あの一発でハヤブサは次世代のスターと認知されました」(同) 日本初登場から一気にファン、関係者の期待を背負うことになったハヤブサだが、その後のレスラー生活は決して順風満帆なものとはならなかった。 「所属するFMWは良くも悪くも大仁田の邪道色が濃く残り、ハヤブサの華麗なスタイルが必ずしもマッチしていたとは言えなかった。また身長180センチ強とジュニアにしては大型で、空中戦など跳び技を多用したことの負担は大きく、常に故障がつきまといました」(同) それでもハヤブサに対する周囲の期待は変わることなく、'97年からは全日本にも準レギュラーとして参戦する。 「馬場が直弟子である大仁田の願いを聞いて、ハヤブサを受け入れたというのは表向きの話。高い評価をしていなければ、そもそも馬場は相手にすらしません」(元・全日関係者) 全日ではタッグのベルトを獲得し、東京ドーム大会では馬場のタッグパートナーを務めるまでに至った。内々では全日移籍の誘いもあったことは想像に難くない。それでもハヤブサはFMWのエースとして闘うことを選んだ。 今になって何が正解だったかという話ではなかろう。きっとそれこそがハヤブサの人生だったのだ。
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その他 2016年04月03日 13時00分
【幻の兵器】この連載では例外!約20年にわたり使用され続けた「十一年式平射歩兵砲」
第一次世界大戦といえば塹壕陣地に機関銃、自殺行為同然の歩兵突撃というイメージが浮かんでくるだろう。もちろん、後方の野砲や重砲による砲撃で陣地を制圧することも可能だったが、それはあくまでも一時的なものに過ぎず、最終的に無力化するには陣地に砲弾を直撃させるほかはなかった。そのため、歩兵が自前で装備して行動をともにし、最前線から陣地を直接砲撃する軽火砲が必要になり、その結果として生まれたのが歩兵砲である。 欧州における歩兵戦闘の変化を知った日本軍は、第一次世界大戦中の1916年には早くも「機関銃破壊砲」の名称で歩兵砲の研究開発に着手し、翌17年には狙撃砲と名付けられ、シベリア出兵の際には第十二師団へ配備されて実戦にも参加した。狙撃砲は歩兵連隊に設置された特殊砲隊が1個小隊(2門)を装備しており、機関銃陣地の制圧以外にも河川用砲艦の破壊や敵歩兵部隊への攻撃など広範囲に活躍したとされる。 狙撃砲は口径37ミリの軽火砲で、移動時は車輪を取りつけて人力牽引した。また、狙撃砲は防楯が上下に分かれており、下部防楯の角度を調節することで砲身高を変化させることができた。これは、低い姿勢で平らな弾道を描く砲弾を発射する平射と、高い姿勢で山なりの弾道を描く曲射とを両立させようと試みたための仕組みである。当時は平射で狙撃するか、または曲射によって陣地の上から砲弾を降らせるかのいずれが効果的か結論が出ていなかったことによるものだが、機構的にはいささか無理があったのではないか。 なにしろ、狙撃砲破甲榴弾の炸薬量はたったの35グラムに過ぎず、たとえ曲射が可能であっても爆発効果が小さいため、実戦ではほとんど意味をなさなかった可能性が高い。というのも、その後に開発された歩兵砲は平射歩兵砲と曲射歩兵砲となっており、それぞれの専門へ特化しているのだ。そして、曲射砲として開発されたのが日本初の近代迫撃砲とも言える十一年式曲射歩兵砲であり、平射砲として開発されたのがこの十一年式平射歩兵砲だった。 十一年式平射歩兵砲は狙撃砲と同様に口径37ミリの小型砲で、車両や機関銃座に対する直接照準射撃を目的として開発された。この砲は狙撃砲が完成した直後の1919年11月に設計作業が始まり、翌年前半には早くも試作砲が完成している。だが、試験によって発射薬の不完全燃焼が判明し、砲身や砲架を改修した上で再度試験を行い、第二次試作砲は1921年の大演習で披露された。十一年式平射歩兵砲は狙撃砲から発展した火砲とされているものの、フランス軍のプトー1916型やアメリカ軍のM1916歩兵砲(事実上、プトー砲の米軍型)に外観などが酷似していることから、それらの歩兵砲をモデルとして開発されたのは明らかだろう。 歩兵砲の大きな役割のひとつは防御された敵の機関銃座を破壊することであり、高い命中精度に加えてつるべ打ちに発射する能力が求められた。発射速度を早くするため、十一年式平射歩兵砲には半自動式垂直鎖栓が装備された。半自動式垂直鎖栓とは、砲弾装填後自動的に砲尾を閉鎖し、発射が行われると自動的に開放して排莢を行うというものだ。そのため装填手が砲弾を突っ込むだけで、砲手は次々と発射することができた。 また当初、十一年式平射歩兵砲は十二年式榴弾を使用していたが、後に九四式徹甲弾と九四式榴弾、そして一三式榴弾を使用することとなった。装薬(発射薬)量こそ異なるものの、後に使用することとなった九四式徹甲弾と榴弾の弾頭は、九四式三十七粍砲や九四式三十七粍戦車砲、九八式三十七粍戦車砲で使用された同徹甲弾、及び榴弾と同一で、豆対戦車砲としての役割も担っていた。とは言え、十一年式平射歩兵砲は軽量化を優先したため全体的に耐久力が不足しており、発射薬の量に制限があった。そのため、砲弾の初速が低下してしまい、装甲貫徹力も不十分だった。 大正十一年(1922年)に制式採用されたことから、十一年式平射歩兵砲と呼ばれるようになった。十一年式平射、曲射の両歩兵砲は1931年に日本軍が中国東北部へ武力侵攻した際に使用された他、上海の武力衝突でも日本海軍の陸戦隊が多用している。その他、限定的とはいえ対戦車能力を有していたことから、八九式中戦車やルノーNCの主砲としても使用されたことがある。 実際1932年の上海戦では、曲射歩兵砲とコンビを組んで歩兵に貴重な支援火力を提供している。上海一帯はクリークとレンガ造りの民家が錯綜する情況で、あたかも第一次世界大戦をほうふつとさせる陣地戦となったが、銃砲火を犯して前進した平射歩兵砲が敵火点を丹念につぶし、ようやく歩兵が前進できるといった有り様だった。また、その後の日中戦争においても中国軍の戦車を海軍陸戦隊が撃破するなど、対陣地対戦車両用の万能砲として頼りにされた。なにしろ、日本初の本格対戦車砲である九四式三十七粍砲が制式採用されたのは1936年で、当時はまだ対戦車砲そのものが存在していなかったのだ。 とはいえ、戦車の装甲が強化されると存在価値は小さくなり、先に述べたように軽量化を優先した耐久力の不足によって、改良、強化の余地もほとんど無かった。ただ十一年式平射歩兵砲は相当数が生産され、九二式歩兵砲が現われた後も更新に時間がかかり、なかには1939年に至っても装備している部隊が存在していた。また、部隊によっては十一年式平射歩兵砲を装備したまま太平洋戦争に突入しており、約20年にわたって使用され続けた兵器であった。(隔週日曜日に掲載)■十一年式平射歩兵砲口径:37mm全備重量:89kg最大発射速度:20発/分
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スポーツ 2016年04月03日 12時00分
IWGP王者オカダ・カズチカに初めて「挑戦して来い」と言わせた内藤哲也
「すべては両国で変わるから! 両国が運命の日だ!」 4・10両国国技館大会でオカダ・カズチカが保持するIWGPヘビー級王座への挑戦が決まっている内藤哲也。3・27後楽園ホール大会でオカダとの前哨戦を制した内藤は、バックステージでこのようにまくし立てた。 内藤が「20代のうちにIWGP王者になる」と言って挑んだ2012年3・4後楽園大会、「ドームのメインでIWGP王者になる夢」を掲げて挑んだ2014年1・4東京ドーム大会、「2年連続ドームでIWGP挑戦」のチャンスだった10・13両国大会のIWGP挑戦権利証争奪戦。この全ての試合で勝利を収めたのはオカダで、内藤はIWGP王者になる道をことごとく阻まれてきた。 「今後、競い合っていく関係になる」 2007年8月にオカダ(当時は岡田かずちか)のプレデビュー戦の相手を務めた内藤は、試合後このようなコメントを残している。両者の対戦成績はオカダの3勝2敗。オカダがレインメーカーになってからは3勝1敗で優位に立っているが、今回の注目すべき点は、内藤が本隊を抜けて新たなユニット、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンを立ち上げたことにあるだろう。かつてのオカダもそうであったように、こうした変化は勢いを生む。IWGPに近い所にいるのになかなか獲れないという状況は後藤洋央紀に似ているが、後藤は本隊の中にいたため変化をするにも制限があったように見えた。逆に現在の内藤は“制御不能”で、木谷高明オーナーをはじめ団体の方向性についても自由奔放に批判するなど、ファン心理を突いた発言が注目を集めている。【精神的には内藤が優位】 2012年以降の対戦を振り返ると、IWGPヘビー級王座戦に関しては、全て内藤がオカダを追う形で挑戦していた。前哨戦や調印式でもオカダは終始余裕を崩さず、内藤が一方的に挑発していた感は否めない。しかし、今回に関してはこれまでとは違う流れが来ているように思う。『NEW JAPAN CUP 2016』の開幕前に内藤は「オレが優勝しても両国では挑戦しない。大阪城ホールで挑戦する」と発言。3・12青森マエダアリーナ大会で後藤を破って優勝し、IWGPヘビー級王座への挑戦を表明するも「4月の両国国技館? 勝手に決めんなよ。俺のタイミングで挑戦するから」と宣言。ダウンしていた後藤にロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンのメンバー全員で公開リンチを行った。 そこに、後藤をCHAOSに勧誘していたオカダが石井智宏とともに救出に駆けつけて事態を収拾。マイクをつかんで内藤に対し「4月10日の両国で俺に挑戦して来い!」と言い放つと、内藤は「チャンピオンのリクエストだからさぁ、オカダの望みどおり両国でやってやるよ!」と応えた。レインメーカーショック以降、オカダを追い続けた内藤としては、してやったりの展開。「大阪城で挑戦する」という発言はカムフラージュで、オカダもファンも内藤の掌の上で転がされていただけなのではないかと思えるほどだ。 今回のIWGP戦は、内藤が初めて精神的に優位な状態で臨むことになるだろう。今の内藤にはEVIL、BUSHIというロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンのパレハ(仲間)がいる。これまでも試合中、バレットクラブのメンバーに介入されたことがあるオカダにとっても、より厄介な相手であることは間違いない。特にBUSHIの毒霧によるアシストは成功率が高く、内藤の対戦相手を大いに悩ませている。オカダも3・27後楽園大会でグリーンミストを浴びて動きを止められた。また、冒頭のコメントは内藤が何かを予告しているように聞こえなくもない。それが何を指しているのか知る由もないが、今回のチャンスを逃したら内藤自身はもちろん、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンとしても失速する危険性をはらんでいるため、ベルト奪取のためには手段を選ばないだろう。 これまでは内藤の思惑を打ち砕き続けてきたオカダだが、今回ばかりは簡単にはいかないだろう。内藤が必殺技デスティーノで勝利し「運命の日」になるのか? それともオカダがレインメーカーで勝利し、いつもの光景が見られるのか? 4・10両国決戦まであと1週間だ。(増田晋侍)<新日Times VOL.12>
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確定GI秋華賞 アドマイヤキッス激変
2006年10月13日 15時00分
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みのもんた 参院選出馬!?
2006年10月12日 15時00分
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GI秋華賞追い切り速報 春の実績馬を脅かす不気味な存在 究極の上がり馬 サンドリオン絶好
2006年10月11日 15時00分
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大みそか参戦ほぼ決定 芸能人対決 金子賢vs押尾学
2006年10月10日 15時00分
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GII毎日王冠 テレグノシス花道V
2006年10月07日 15時00分
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アイルランドT キンシャサノキセキ断然
2006年10月06日 15時00分
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よしお兄さん、だいすけお兄さんの結婚を祝福「直接聞きました」 パパとしての喜びを語る
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2025年04月21日 18時25分
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芸能ネタ
2025年06月01日 12時00分