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芸能ネタ 2015年10月12日 12時13分
松本人志 さまぁ〜ずとバナナマンに敬意「キングオブコント2015」審査
11日、コント日本一を決定する「キングオブコント」が行われ、審査委員長を務めたダウンタウンの松本人志が、審査員を担当したさまぁ〜ずとバナナマンに敬意を表した。 8回目となる同大会。特に変わった点でいえば、審査方法である。昨年までは、準決勝で敗退した芸人約100人が決勝の審査をするという方法だったが、今回はダウンタウンの松本人志、さまぁ〜ずの三村マサカズ&大竹一樹、バナナマンの設楽統&日村勇紀の5人が審査を務めた。 番組序盤で各審査員が紹介され、審査委員長の松本は「我々こう審査員ていうのはね、リスクが非常に高いんです。そんな中、さまぁ〜ずとバナナマンが出てくれることに、僕は本当に敬意を表したいなと思ってるんです」と2組を称えた。 松本の発言に会場からは拍手が送られ、さまぁ〜ずとバナナマンは真剣な表情で松本の発言を受け止めていた。
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芸能ネタ 2015年10月12日 12時00分
爆問田中と山口もえが結婚 子供のことを最優先に考えた発表経緯
『爆笑問題』の田中裕二(50)が、タレントの山口もえ(38)と結婚すると発表し、会見を開いた。 会見後にはラジオの生放送があるにも関わらず、喜びに浮かれているせいか当初の予定よりも大幅に時間がオーバーし、ラジオ番組のスタッフが、慌てて呼びに来る一幕もあった。その結果、ラジオ番組には30分遅刻。だが、それだけ結婚発表ができたことに対する喜びがあったのだろう。 バツイチ同士の交際が明らかになったのは約2年半前。幾度となく結婚報道が流れたが、二人とも否定を繰り返してきた。その理由は、山口に8歳の女児と4歳の男児がいたためだ。 会見で田中が「昨年の夏、彼女の家で食事が終わった後にプロポーズした。彼女は涙ぐんで喜んでいました」と話したように、1年前には結婚を決めていた。しかし、その直後に結婚を報じられたときにも否定していた。今年の7月には同棲も始め、家具を運び込んでいる目撃情報もあったが、それでも結婚を否定。田中が所属する事務所の太田光代社長も、報道が出ると「弊社のタレント、誰も結婚してません!」と、ツイッターで反論していたほどだった。 その太田社長も2週間前に、田中から「運動会を見に行ってくる」という話を聞き、「(長女は)もともと(田中を)パパと呼んでいたけれど、『運動会に来てほしい』と言うのは相当なこと。(田中に)『このタイミングで結婚したら?』と言いました」と話し、これが結婚に進んだ理由だと説明した。そして、「運動会があった3日に週刊誌に写真を撮られた場合、掲載されるのは翌週。そのころにまた『2人の関係はどうなっているんだ?』となるよりは、意思は固まっているんだから、大安の4日に結婚して報告した方がいいとも思った」と、事務所の社長らしいコメントもしている。 「7月中旬、ビートたけしさんが、もえさんに『田中は、番組で使ったパネルを持ち帰る趣味がある』と、話しかけたそうです。そうしたら、もえさんが『そのパネル、いつも見ています』と答えたとのこと。たけしさんはこのとき、『二人は、すでに一緒に住んでいるんだ』と思ったそうですよ」(女性週刊誌記者) 田中は、山口の子供と3人一緒にお風呂に入っていることも明かした。「パパ」と呼ばれているだけではなく、実の親子以上になれた実感もあったに違いない。子供達の前で「パパ」、「ママ」と呼び合っている二人の新婚生活は、2カ月以上前から始まっていたのだ。
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レジャー 2015年10月12日 10時00分
【第66回毎日王冠】武騎乗エイシンヒカリ、鮮やか逃げ切り勝ち
天皇賞(秋)の前哨戦「第66回毎日王冠」(GII・芝1800メートル、11日東京13頭)は、武豊騎手のエイシンヒカリ(56キロ単勝1番人気)が、鮮やかな逃げ切り勝ち。天皇賞(秋)の優先出走権を獲得。同時に、本番へ大きく弾みを付けた。1分45秒6。2着ディサイファ(57キロ四位洋文騎手、単勝4番人気)1馬身1/4。3着イスラボニータ(57キロ蛯名正義騎手、単勝7番人気)クビ。 エイシンヒカリは父ディープインパクト、母キャタリナの牡4歳馬(芦毛)。馬主は(株)栄進堂。戦績=9戦8勝。主な勝ち鞍=重賞2勝目(15年エプソムカップ・GIII)。武豊騎手は3勝目(98年サイレンススズカ、14年エアソミュール)、坂口正則調教師は初勝利。「配当」単勝=(13)490円複勝=(13)220円(4)220円(6)320円枠連=(4)(8)560円ワイド=(4)(13)820円(6)(13)1270円(4)(6)1340円馬連=(4)(13)1880円馬単=(13)(4)3210円3連複=(4)(6)(13)6720円3連単=(13)(4)(6)2万8200円*レース結果については、必ずJRA公式発表でご確認ください。
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社会 2015年10月12日 10時00分
鍋メニューの“撒き餌”か 牛丼3社またもや値引きの皮算用
食欲の秋に朗報!? 『すき家』『吉野家』『松屋』の牛丼3社が「期間限定」と銘打ちながらも、再び値下げ競争に打って出た。 一時は“体力の消耗戦”と揶揄されるほど看板メニュー牛丼1杯の定価下げ競争に明け暮れてきた各社は、昨年暮れから今春にかけ、消費税率アップと牛肉の輸入価格高騰などを理由に値上げへと舵を切っていた。安い価格が魅力の牛丼は「デフレの勝ち組」と称されてきただけに、この大転換はデフレの終焉を印象づけた。それが期間限定とはいえ、再び値下げの3社揃い踏みである。「物価上昇率2%」を掲げていた安倍首相にとっても、この“裏切り”は頭の痛い話。背景には何があるのか。 「各社とも値上げを機に客単価が上がった半面、客数は大きく落ち込んでいる。これを回復する特効薬に選んだのが、値下げという名の“麻薬”だったということ。各社は恒常的な値下げに否定的なコメントを発表していますが、今回の値下げキャンペーンが成功したと判断すれば大きな誘惑に駆られる。1社がGOサインを出せば、他社が追随するに決まっています」(外食チェーン関係者) そうなれば牛丼ファンは大喜びだが、新興国での牛肉需要が拡大しており、暫定値下げをプッシュした現在の割安な牛肉価格が永続する保証はない。従って一斉値下げがあるにしても、今回と同じ期間限定にとどまりそうだ。 「実は今回の期間限定値下げには、各社の秘めた魂胆がある。『すき家』にせよ『吉野家』にせよ、秋本番を機に定番となった鍋メニューを投入する計画です。それに備えて客足を回復させ、できるだけ多くのファン層を獲得しておきたいのが本音。まして鍋メニューは牛丼よりも価格が高く、その分収益に寄与する。鍋以外の商品メニューを豊富にそろえておけば、さらに集客効果と収益増が期待できる。今回の値下げはテイのいい“撒き餌”作戦に他なりません」(証券アナリスト) それが吉と出ればまだしも“麻薬”の味にドップリ浸かるようだと目も当てられない。
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社会 2015年10月11日 16時00分
尼崎連続変死事件判決公判で明らかになった角田ファミリー“自殺強要”現場
'12年に発覚し世間を震撼させた「尼崎連続変死事件」。主犯格とされる角田美代子元被告(64=当時)を中心とした集団に、複数名が長期間虐待を受け死亡していたことなどが明らかとなったが、美代子元被告は逮捕後に留置場で自殺。主犯が不在のまま関係者らの公判が神戸地裁で開かれ、その残虐な経緯が明らかになっている。 「9月16日には、美代子元被告の内縁の夫である鄭頼太郎(65)、義妹の角田三枝子(62)、長男の健太郎(33)に対する裁判員裁判の判決公判が開かれ、3被告に懲役21年(求刑懲役30年)が言い渡された。3被告は、被害者5人に対する殺人や死体遺棄などの罪に問われていましたが、中でも残虐だったのは、三枝子被告の夫・久芳さん(51=当時)に関する事件のくだりです」(傍聴記者) 3人は久芳さんの生命保険金を手に入れるため、美代子元被告と共謀。'05年7月、久芳さんに沖縄県の万座毛の崖の上から飛び降りるよう指示して殺害に及んでおり、判決では、そこに至るまで何度も死ぬように追い込んでいた事実も認定された。 〈(久芳さんは)自転車で車道に飛び出し車に飛び込むよう言われ、平成17年2月中旬、これを試みるが死ねず、同月19日頃、美代子らと住む尼崎市のマンションからいなくなった。しかし、3月には見つかり連れ戻される。この際、美代子が久芳さんを責め、他も同じように叱責した〉(判決言い渡し) その翌月にも死ぬことを試みたができなかったという久芳さんは、「やっぱり怖くて」と命乞いするも、美代子元被告は「今さら何言ってんねん!」と激怒したという。 「崖の上でも久芳さんは逡巡しましたが、旅行に見せかけるための集合写真を共犯者らに撮影されながら『はよせい、はよせい』とすごまれ、自ら命を絶ったとのことです」(前出・記者) いまだに信じ難い事件だ。
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芸能ネタ 2015年10月11日 15時00分
「キングオブコント2015」審査員で鍵を握るのはバナナマン設楽&さまぁ〜ず三村
11日、日本一のコント芸を決定する「キングオブコント2015」決勝戦がスタートする。今大会は2455組がエントリーし、優勝賞金1000万円を目指し、芸人たちがガチンコで戦う! 今大会の注目は審査方法。第1回〜第7回までは準決勝進出者約100名が審査する方法だったが、今回はダウンタウンの松本人志、さまぁ〜ずの三村マサカズ&大竹一樹、バナナマンの設楽統&日村勇紀の5名が審査員を務める。ファーストステージでは抽選順にネタを披露し、ファイナルステージに進出できるのは上位5組。その芸人たちが2ネタ目を披露し、合計点が最も高かった者が優勝となる。 松本は「M-1グランプリ」で長年審査員を務めており、大竹も「M-1」と「THE MANZAI」で審査員を務めた経験を持っているため、空気感や緊張感などは体感しているため、問題ないだろう。 バナナマンは第1回「キングオブコント2008」に出場し、ファーストステージでは最高点を獲得。ファイナルステージに進出したが、惜しくもバッファロー吾郎に敗れ、準優勝に終わった。審査員でいえば、「M-1」や「THE MANZAI」、「R-1ぐらんぷり」のメジャー大会での審査員経験はない。ただ、フジテレビ「IPPONグランプリ」で審査を務めた経験を持っている。特に設楽には注目。バナナマンは関東のコント師として有名で、ネタを作っているのは主に設楽。独特な感性を持つため、彼の心に響くネタなのかということも重要だ。 そして、もう一人の注目人物は三村。「M-1」や「THE MANZAI」、「R-1ぐらんぷり」のメジャー大会での審査員経験はない。そんな三村は、審査員を務めることが公表されると、自身のツイッターで「キングオブコント審査員の発表したんだ? 真面目に初めての審査員やろうと思う」と意気込みを語っている。三村が一体どこまで真剣に審査を担当するのか心配される。さまぁ〜ずでいえば、主に大竹がコントの草案を作るスタンスをとっており、三村はコントネタのツッコミを担当。三村はツッコミという部分に重点を置いて、審査をするかもしれない。 今回から採用された審査方法なだけに未知数であるが、とにかく審査員には真剣に審査をしてほしい。
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社会 2015年10月11日 14時00分
達人政治家の処世の極意 第二十回「小渕恵三」
オレは“ボキャ貧”だから、『お疲れさま』の一言だ。それでもここまで来ることができた。 平成10年7月、橋本龍太郎首相退陣を受けて首相に就任した小渕恵三に対する世間の反応は、何とも冷ややかなものであった。当時イケイケの議員だった田中真紀子(後に外相)からは小泉純一郎への「変人」、梶山静六への「軍人」と共に「凡人」とキメ付けられ、米国のマスコミからは取り立てて強いリーダーシップも窺えない“味気のなさ”から「冷めたピザ」との酷評も頂戴した。政権発足時の内閣支持率もわずか20%程度と、異例の低さだった。 しかし、政権の座にすわった小渕は内政・外交とも一変したかのように次々と大胆な決断力を発揮、世論の懸念は徐々に氷解し、ジリジリと右肩上がりの支持率を見せていった。内政では折からの不況下、前任の橋本首相が掲げた「財政構造改革」を思い切ってタナ上げし、政権運営の照準を景気回復一本に定める一方、中央省庁改革法、国旗・国歌法など、それまでの政権の懸案法案を次々に成立させていった。また、外交も韓国との間で日韓共同宣言、中国とも同様に共同宣言を発表、両国に譲るところは譲りながら、その歴史認識の国益を頑固に守り抜いて見せた。こうしたことを背景に米国メディアなどはやがて手のヒラを返し、冷めたピザに「風味が出てきた」などと報じたのであった。 その小渕は、当選、落選を繰り返す代議士だった父・光平の跡を継いで政界入りを果たした。早稲田大学文学部で学ぶ一方、雄弁会のサークルに所属していた。筆者も一時その雄弁会にいたのだが、当時の先輩から、次のようなエピソードを聞いたことがある。 「小渕先輩は、雄弁会一、二を争う生マジメさだった。同じ先輩たちがよく怪しい“新宿2丁目”の青線に出入りしていたのに、誘っても絶対に行くことはなかったと聞いた。その上で、オレがオレがタイプの多い雄弁会の中でも口数が少なく、人と争うことをしなかった。しかし、一方で物事がモメたとき、小渕さんが一枚加わると不思議に合意が生まれたそうだ。雄弁会史上、人柄ではダントツの小渕さんだったとされている」 政界入り後もそうした小渕の姿勢は変わることなく、常に一歩引いた発言が目立った。表題の言葉もそうで、後に首相となったあとも「オレは“真空総理”だから、自分から考え方を押し付けないから対立することがない。無、空ということなんだナ」とも言っていた。表題にある「(周りに対する)『お疲れさま』の一言で、ここまで来ることができた」はむろん謙遜の弁にほかならないが、政界入り後も万事が一歩引きながら、ひたすら合意形成に努めたということだった。 こうした手法は学生時代の雄弁会当時からの延長線上にあるが、一方で、これは竹下登元首相のもとでさらに磨かれた合意形成手法と言えた。竹下についてはこの連載でも以前に触れているが、徹底的に一歩引いたリーダーシップで合意形成を固めていったそれまでに稀有な首相であった。なるほど、小渕は政界入り後、この竹下を「政治の師」とし、長く側目にいたのである。竹下も小渕をかわいがり、竹下内閣では官房長官を任かせた。昭和天皇崩御の際の新元号「平成」を記者会見で発表した姿が記憶に残る。竹下が亡くなる前年、その竹下に、筆者は弟子としての小渕の人となりを質した思い出がある。 「小渕は若い議員によく言ってたわナ。『謙虚であれ、誠実であれ、勇敢であれ』と。これを小渕に言わせると、“三あれ主義”ということだった。しかし、キレ味は見せないが合意形成づくり、したたかさはひょっとするとオレより上かも知れん。譲るべきは譲るが、貫くところは貫く決断力がある。昨年(平成11年)秋の自民党総裁選再選時、挑戦を受けた加藤紘一と山崎拓を、その後の改革人事でピシャッと斬り捨てた。あれがいい例だ。オレにはあそこまではできない。実は、神経は相当に太い男だ」 小渕自身は度々会っていた筆者に、穏やかな表情でよく言っていたものだ。「平凡に勝るものはないね」と。小渕流の常に一歩引きながら、しかし、したたかなリーダーシップ、合意形成法は一考に値する。 一時は「日本初の女性首相候補」との名が高まったが、“政治とカネ”で謹慎を余儀なくされている小渕優子前経産大臣は、その娘である。=敬称略=■小渕恵三=第84代内閣総理大臣。総理府総務長官(第29代)、沖縄開発庁長官(第10代)、内閣官房長官(第49代)、外務大臣(第125代)などを歴任。総理在任中の平成12年5月、脳梗塞が原因で死去。享年62歳。小林吉弥(こばやしきちや) 永田町取材歴46年のベテラン政治評論家。この間、佐藤栄作内閣以降の大物議員に多数接触する一方、抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書多数。
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レジャー 2015年10月11日 12時00分
京都大賞典(GII、京都芝2400メートル、12日)藤川京子のクロスカウンター予想!
京都11R、京都大賞典は◎ラブリーデイがGI馬の意地で秋緒戦を勝利で飾ります。 前走の宝塚記念で念願のGI制覇。2番手を折り合って追走し、抜群の手応えで直線は先頭に立って抜け出し快勝。今年は重賞4勝して中距離はパーフェクト。レースで行きたがるところがなくなり、折り合いがつくようになったのが結果に繋がっていますね。好位で追走できて、そこから速い上がりを使えるところが魅力ですね。 レコードを持っているように開幕週の馬場にも対応できるので、この馬の持ち味を生かせそうです。1番枠からソツのない競馬を披露します。(1)◎ラブリーデイ(10)○サウンズオブアース(2)▲ワンアンドオンリー(8)△ラキシス(4)△ニューダイナスティ(6)△フーラブライド(7)△カレンミロティックワイドBOX (1)(10)(2)(8)3連単 (1)-(10)(2)(8)(4)(6)(7)ラブリーデイ 1頭軸マルチ動画予想→https://youtu.be/eOZfEOcD0po ※出馬表などのデータは、必ずJRA公式発表のものと照合し確認してください。
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その他 2015年10月11日 12時00分
【幻の兵器】すでに陳腐化していた戦闘術を元に作られた四式軽戦車(ケヌ)に悲劇
太平洋戦争時の日本陸軍は、非力だが安価に量産可能な九五式軽戦車を主に生産しており、戦力的にはともかく数の上では軽戦車が「主力」だった。とはいえ九五式軽戦車の装甲は米軍の重機関銃にさえ対抗できず、主武装も米軍の装甲車に対抗するのがやっとの37ミリ砲であり、陸軍当局も既に戦力価値がほとんど無くなっているのは痛感していた。そのため、日本陸軍は1944年に九五式軽戦車の火力向上を主目的とした車両を試作しているが、そのひとつが四式軽戦車である。 まず、九五式軽戦車に九七式中戦車の主砲(九七式五七粍戦車砲)を装備した三式軽戦車を試作しているが、砲塔内は狭くて窮屈だったため試作のみに終わった。そこで、こんどは主砲だけではなく、九七式中戦車の砲塔を装備した四式軽戦車を製作したのである。この四式軽戦車では、九五式軽戦車に大きな九七式中戦車の砲塔を乗せるため、砲塔リングの直径を1000ミリから1350ミリに拡大している他、砲塔の換装に伴って車体の各部分にも手を加えている。 だが砲塔の搭載方法はかなり強引と言え、車体前面から見て左右の両側面はわずかずつはみ出しているほか(車体側面の膨らみは一種の増加装甲なので、本体の外側に付属しているような構造となっている)、砲塔前面がはみ出したため車体前面にある操縦手ハッチの開閉にも問題が生じたため、車体を改造して操縦手ハッチを開閉可能にした。 とはいえ、小振りで軽い車体に大きな砲塔を搭載したため、車体が不安定になった可能性もある。また、たとえ九七式中戦車の砲塔を装備して少々攻撃力を強化したとしても、九五式軽戦車の改造型である限り、敵の装甲車両には対抗できないのも明らかで、もちろん陸軍もそのことは十分に理解していた。事実、参謀本部の教育総監部が編纂した『戦車用法』において、軽戦車連隊は「敵空挺部隊の攻撃または砲兵等の挺身奇襲に任ぜしむ」とされており、少なくとも四式軽戦車を「敵機甲戦力との対決」に投入する予定はなかったと考えても問題はないだろう。 では、日本陸軍が想定したような戦闘において、四式軽戦車は有効な戦力となりえたのか、そもそも日本陸軍が想定していたような戦闘が発生しえたのかということとなると、現代に生きる我々の視点からはいささか疑問といわざるをえないかもしれない。まず『戦車用法』に登場する「軽戦車連隊」で、日本陸軍は軽戦車のみを集成した軽戦車連隊を編成したことはないものの、結果的に「軽戦車ばかりを装備した戦車連隊」はいくつか存在していた。そのため、部隊名称としては存在しなかったが、軍隊内では「軽戦車連隊」として区別して陣地攻撃能力、特に対戦車砲を撃破する能力が劣る軽戦車を支援するため、榴弾砲を装備した四式軽戦車を配備する考えを持っていたのではないか。 第二次世界大戦前には、大口径の榴弾砲を装備した戦車が敵陣の対戦車砲を撃破し、対戦車砲を装備した主力戦車の前進を助けるという戦術理論が開発されていた。実際、九五式軽戦車の三七粍砲はもちろん、榴弾の威力では、九七式中戦車改の四七粍砲より五七粍砲が上回っていたから、支援戦車としては一定の能力を期待できただろう。また、日本軍は米軍の対戦車ロケット(バズーカ砲)を非常に恐れており、先の『戦車用法』から四式軽戦車の目的は米空挺部隊に配属された対戦車ロケット班の撃破とする説もある。 また敵砲兵への挺身奇襲だが、これはノモンハン戦時における戦車第四連隊の夜襲に範を取ったものと思われるし、迂回奇襲を好んだ日本陸軍にとっては極めて正統的な戦術といえる。しかし、米軍の航空支援能力はノモンハン戦時のソ連軍と比較にならないほど高く、また日本軍の迂回奇襲に手を焼いたことから警戒陣地の構築も入念に行われるため、残念ながら成功する可能性は極めて小さかっただろうと推定される。 敵空挺部隊への攻撃についても同様で、対戦車ロケットのほかにM3A1対戦車砲や75ミリ無反動砲を備え、その気になれば英軍の空挺戦車まで投入可能だった敵空挺部隊に対し、四式軽戦車がどの程度の戦力を発揮しえたのかとなると、これまた残念ながら少々悲観的にならざるをえない。そのうえ、当時の日本軍は連合軍の空挺部隊と交戦した経験が乏しく、不正規戦闘を主任務とする軽装備部隊を相手にしているのみだ。 いずれにしても、四式軽戦車は「軽戦車連隊」の中核となる兵器といえ、単に余剰兵器の再利用と片づけられない側面を持っているだろう。この点については、今後の研究を行ううえで重要なポイントとなるかもしれない。ただし、四式軽戦車を生み出す動機となった『戦車用法』における「軽戦車連隊」の戦術が、実戦ではどの程度まで有効だったかとなると、残念ながらかなり疑問とせざるをえないだろう。というのも、日本軍が参考にしたであろう戦闘例が、当時の情況においては既に陳腐化していたと思われるのだ。 戦時中には「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」という標語があったが、先人達の工夫と努力には驚くべきものがあり、調査するたびに心から敬意を表したいと感じる。しかし、工夫ではなんともならないところで勝敗が決してしまうというのが、近代における総力戦の冷酷な現実と言わざるをえないのだ。 (隔週日曜日に掲載)■データ 四式軽戦車(ケヌ)重量:自重7.7t 全備重量8.4t乗員:3名寸法:全長4.30m、全幅2.70m、全高2.48m動力:空冷直列6気筒ディ−ゼル120馬力装甲:車体前面・側面12mm、後面8mm、砲塔全面25mm武装:97式57mm戦車砲1 7.62mm機銃2
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芸能ネタ 2015年10月11日 12時00分
川田裕美アナ一肌脱ぎます! 決意表明の隠れ巨乳アピール
今年3月末に読売テレビを退社してフリーになった川田裕美アナウンサー(32)が、いよいよ隠れ巨乳を解禁する。フリーに転身し、苦境に立たされていたが、そのバストの力で一発逆転を狙うようだ。 川田アナは2011年からアシスタントを務めた『情報ライブ ミヤネ屋』で日本全国に顔を売り、今春にフリーに転向して上京した。フリーに厳しい現在のテレビ局事情や、30歳を超えた川田アナの年齢から、当初は仕事の状況がかなり厳しくなるのではと思われていた。しかし、「多くの番組にゲスト出演していますし、思っていたよりは健闘していると思います」(テレビ局関係者)と一定の評価は得ている。 だが、現状は決して川田アナの想定通りとはいっていないようだ 「川田アナはフリー転向後半年となるこの秋に、在京キー局でレギュラー番組を持つという目標がありました。ゲスト出演だけだと、目新しさがなくなったときに、あっという間に消えてしまいますから。それに向けて、この半年間は様々な業界人との飲み会に出席し“営業”していたのです。だがレギュラーは取れなかった」(制作会社幹部) そんな状況の中で突如、川田アナがビーチで走り回り、大きく揺れ動くバストがテレビで放送されたのだ。 川田アナが初の水着姿を披露したのは、9月19日放送のフジテレビ系『有吉の夏休み2015密着100時間 in ハワイFinal』でのこと。川田アナはハワイのビーチで服を脱ぎ、上半身にはTシャツ、下半身には短パンという海辺用の服装になった。露出度の面で言うと少々ガッカリな服装だったのだが、思わぬ部分が猛アピールしてきた。 「推定Eカップはあろうかと思われる巨乳です。それが走るたびに大きく揺れ、ファンを喜ばせました。これまで川田アナはどちらかと言えば貧乳だと思われていましたが、嬉しい誤算でした」(女子アナウォッチャー) テレビ画面を通して全国に隠れ巨乳を披露した川田アナ。ある狙いがありそうなのだという。 「これは事と場合によっては、脱いでも構わないという川田アナのアピールであることは間違いない。今後はあの柔らかそうな巨乳で、勝負をかけるということですよ」(前出幹部) 最近は女子アナといえども、生半可な露出度では視聴者が満足しない。川田アナもそれは十分承知しており、今後はますます過激化の一途をたどることになるだろう。
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