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社会 2012年07月05日 11時45分
天海祐希と同期の元宝塚女優が援助交際の末、恐喝未遂
警視庁滝野川署は7月3日、知人男性から現金を脅し取ろうとしたとして、元宝塚女優で職業不詳・金林真貴容疑者(44=東京都世田谷区池尻)と、共謀した指定暴力団住吉会系組員・煙山(けむりやま)祥裕容疑者(55=覚せい剤取締法違反罪で服役中)を恐喝未遂容疑で逮捕した。 逮捕容疑は、金林容疑者が出会い系サイトで知り合ったタクシー運転手の男性(55)に、2人が「妊娠した」などと因縁をつけ、現金を脅しとろうとした疑い。 同署によると、昨年12月25日、金林容疑者と男性が東京都荒川区の喫茶店に入った際、後から煙山容疑者が現れ、「アンタは金林を妊娠させた。俺はヤクザだ。誠意を見せろ」など威嚇し、現金10万円を払うように迫った。その際、金林容疑者は無言だった。男性は念書を取られたものの、現金は渡さなかった。金林容疑者は妊娠していなかったという。男性が今年1月、同署に相談し発覚した。煙山容疑者は容疑を認めているが、金林容疑者は「脅してカネを取るつもりはなかった」と否認しているという。 金林容疑者と男性は昨年11月中旬に知り合い、援助交際が目的で数回会っていた。男性は1回あたり、数万円を渡していた。 同署は2人がどのように知り合って犯行に及んだのか、薬物使用の疑いも含め、調べている。 金林容疑者は聖心女子学院高等科を卒業し、宝塚音楽学校に入学。87年に同校を卒業後、宝塚歌劇団に入団(73期生)。「浜風愛」の芸名で、娘役で約4年間活動したが、90年に退団した。その後は、タレント活動なども行っていた。同期には天海祐希、姿月あさと、絵麻緒(現えまお)ゆう、匠ひびきらのトップスターがおり、73期は当たり年といわれている。(蔵元英二)
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その他 2012年07月05日 11時07分
岐阜のゆるキャラ・やなな引退、来年3月31日をもって引退
2008年7月に誕生した岐阜県岐阜市にある柳ケ瀬商店街の非公式キャラクター「やなな」が来年3月31日をもって引退する。 岐阜市にある柳ケ瀬あい愛ステーションにて、やななのマネージメントを行うまちづくり団体「ひとひとの会」(代表:佐藤徳昭)が本日11時から記者会見を行い、やななの引退を公式に認め、その時期を来年3月いっぱいと発表した。 2012年6月30日から7月1日にかけて、岐阜市・柳ケ瀬商店街において、やななが中心となって全都道府県のゆるキャラが集合する日本初のイベント「全国ゆるキャラ大集合」が開催され、10万人の来場者を集めたばかりである。 なお、やななのゆるキャラとして活動は終了するが、やななのキャラクターグッズの販売は継続するという。
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芸能 2012年07月04日 15時30分
お笑い芸人 豪快伝説 其の十八『板尾創路』
お笑い芸人。コメディアン。エンターテイナー。そんな彼たちがかつて刻んだ偉大なる伝説、爆笑列伝を紹介していく連載の18回目。エイティーンバウトは、板尾創路だ。 今田耕司。木村祐一。千原ジュニア(千原兄弟)。そして、松本人志(ダウンタウン)。そうそうたるお笑い芸人から、すべらない同僚として親しまれているのが、板尾創路(130R)だ。90年代前半には、未成年の女性と性的関係をもったことで、所属している吉本興業(当時)から活動停止を言い渡されたが、復帰後は、漫才師の枠に収まることなく大活躍。主演ドラマ、主演映画、シリーズ書籍、脚本執筆、監督業と、そのフィールドは広がるばかりだ。 仲間から親しまれているのは、天然すぎるおとぼけ実話が多いというのも大きい。ここではそんな、“すべらない板尾”を足早で振り返ってみよう。たとえば食事の席で−−。 千原と食堂に入ったとき。エビフライ定食を頼んだが、エビフライをすべて残した。みんなで鍋を囲んでいたとき。ダシで入れていた昆布を5回連続でつかみ、「チッ…。昆布、つかんでまうわぁ」と、自分にキレた。宮川大輔などと、舞台の打ち上げで居酒屋に行ったとき。テーブルに置いてあったポケットティッシュをスライスチーズと間違い、「チーズ、あるやんけ」と箸でつまみあげて、食べそうになった。 たとえば、劇場で−−。控室で出前をとったとき。冷たいそばをオーダーしたが、配達員が、隣の控室でほんこんと中川家・礼二が頼んだ温かいそばと間違えて、置いて帰った。半分以上食べてから、「俺、冷たいの、頼んだよな」とつぶやいた。携帯電話でメールを打っていたとき。「間違えた」とつぶやき、文面を間違ったのかと思うと、他人の携帯でメール打っていた。 たとえば、プライベートで−−。舞台を鑑賞したとき。関係者席に案内されたが、終演後、パイプ椅子に貼られていた「関係者席」の紙を背中につけたまま、喫茶店へ行った。千原と野球観戦をしたとき。7回に上げられたジェット風船が、9回表になって板尾の頭に落ちてきた。大塚家具に行ったとき。親族ではない初老のおばさんと、高級な寝具売り場で静かにベッドを見ていた。芸人とコンパに参加したとき。「(不細工な女子を見て)あいつ、ないわー」と仲間に言っていたが、「先に帰るわ」と店を出た数時間後、その女子と手をつないでいた。 たとえば、仕事場で−−。舞台の本読みのとき。台本に「ミライ(未来)」と書かれてるのを、ずっと「ミイラ」と読んでいた。レギュラー番組のNHK「着信御礼!ケータイ大喜利」に出演したとき。ラスト10秒で、「板尾さん、最後にひとこと」とフラれたにもかかわらず、「…」と無言のまま、番組が終了した。吉本新喜劇に出演したとき。客席で体調悪化を訴える女性を見つけ、舞台から客席に飛びおりて、助けた。 振り返れば、長女が急死するという痛ましい事故が起こったのは、3年前。悲しみを乗り越え48歳の今、次女が生まれた。今後ますます、芸の幅とともに伝説も拡充していくだろう。(伊藤由華)
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芸能 2012年07月04日 15時30分
「巨乳ちゃんを探せ!」第18回〜美しすぎるカーリング娘・市川美余
リアルライブ読者の皆さま、こんにちは。 各界の巨乳ちゃんをピックアップするこのコーナーですが、今回は第10回で紹介したマリリンこと本橋麻里に匹敵する“美しすぎるカーリング娘”として人気上昇中の市川美余(中部電力)を取り上げます。 市川は89年6月28日生まれで、23歳になったばかり。長野県北佐久郡軽井沢町の出身です。7歳の時からカーリングを始め、05年の日本ジュニアカーリング選手権では、チーム掛川で優勝を飾っています。 08年に中部電力に入社。現在は上田営業所勤務。市川はサードと呼ばれるポジションで、同僚の清水絵美、佐藤美幸とは同じ軽井沢町の出身で、カーリングチームwishで古くからのチームメイト。 中部電力では07年春に長野支店で、女子カーリングチームが結成され、09年春に中部電力カーリング部が発足した。 10年3月、「日本カーリング選手権」で3位入賞。11、12年と同選手権大会で2連覇を果たしています。同時に「中部カーリング選手権」で3連覇、「長野県カーリング選手権」で2連覇を飾っています。 市川はチームの主将を務めており、目標はむろん、14年のソチ冬季五輪だ。 ただ、残念なことに、チーム方針でスポーツ報道目的以外の取材は一切断っており、市川をメディアで目にすることは少ない。 自称巨乳評論家のA氏によると、「これは逸材ですね。ルックスもマリリンに見劣りしませんし、バストもなかなかのもの。Dカップくらいありそうですね。メディアへの登場機会が少ないのが残念至極ですが、ソチ五輪に出ればブレイク間違いないでしょう」と語る。 日本カーリング協会はソチ五輪に向け、単独チームによる代表方式から、選抜選手による代表チーム結成への変更を検討中だという。もし、そうなれば、ソチで市川とマリリンの“夢の競演”を見てみたいものだ。(坂本太郎)※お知らせ 本コーナーは今週を持って、いったん休止し、次週水曜日より、期間限定企画「ロンドン五輪〜美人日本代表を探せ!」を掲載いたします。お楽しみに!
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トレンド 2012年07月04日 15時30分
映画「ラム・ダイアリー」 公開記念にコラボ“パナマ帽”を販売
ジョニー・デップが、親友の故ハンター・S・トンプソンの同名小説を、自らの企画で映画化し、製作・主演を務めた映画「ラム・ダイアリー」(新宿ピカデリーほかで公開中)の公開を記念して、帽子のブランド「CA4LA」が3日からコラボ“パナマ帽”を販売している。 映画「ラム・ダイアリー」の劇中で、ジョニー・デップ演じるポール・ケンプがかぶっているパナマ帽を「CA4LA」が完全再現。「CA4LA」全店(御殿場店は除く)で発売中。また、渋谷店では映画のパネル展も開催している。○販売店舗 CA4LA全店(全国21店舗/御殿場店を除く)○価格 9,345円(税込み)○サイズ Mサイズ、Lサイズ○HPアドレス http://www.ca4la.com/top.html<ストーリー> 1960年、プエルトリコのサンフアンに、ジャーナリストのポール・ケンプ(ジョニー・デップ)が降りたった。ニューヨークの喧騒に疲れ果てたケンプは、神経過敏気味の編集長ロッターマン(リチャード・ジェンキンス)が運営する地元新聞「サンフアン・スター」紙に記事を書くため、自然がそのまま残る島プエルトリコへとやってきたのだ。個性豊かなジャーナリスト仲間に囲まれながら、ラム酒を浴びるように飲むという島の生活にすぐに馴染んだケンプは、ある日アメリカ人企業家のひとりであるサンダーソン(アーロン・エッカート)と出会う。そして、彼の婚約者である、シュノー(アンバー・ハード)との偶然の出会いから、彼女の類まれなる魅力に夢中になるが…。
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トレンド 2012年07月04日 15時30分
『スケッチ・オブ・ミャーク』、歌い継ぐ人々の深淵なるドキュメント
歌うことは、神とひとつになること、生きる願いは声となり、神へ届く、魂のありか「ミャーク(宮古島)」への旅、『スケッチ・オブ・ミャーク』、魂が激しく揺さぶられる時、古代から続く記憶が静かに甦る…。 鳴り止まない拍手と歓声。スイス、第64回ロカルノ国際映画祭での快挙。グランプリに次ぐ<批評家週間賞 審査員スペシャル・メンション2011>を受賞。 沖縄県宮古諸島には、沖縄民謡と異なる知られざる唄がある。 厳しい島での暮らしや神への信仰などから生まれた「アーグ(古謡)」と「神歌(かみうた)」がそれだ。 昔からこの島では生きることと、神への願いと唄はひとつのものであった。あたかも遠い時代に輝いた星の光が時を経て、この地球に届くように、この島ではいまだに古くからの信仰と唄がその姿を色濃く残す。 それらは、宮古諸島に点在する村々の中でひっそりと歌い継がれてきた。特に数世紀に及ぶ長い歴史を持つ御嶽(うたき:霊場)での神事のなかで歌われる「神歌」は、喜びと畏敬の念をもって、幾世紀にも渡り口伝されてきた。すべては音楽家の久保田麻琴が、島でそれら貴重な唄に出会ったことに始まる。そしてそれらの素晴らしい歌群が、絶滅の危機に瀕していることを知る。 本作は歌を唄い継ぐ人々の暮らしを追うなかで、神と自然への畏れ、そして生きることへの希望を見出したドキュメンタリーだ。監督の大西功一は、秘められた島の神事を追い、生きることと信仰と唄がひとつだった時代を知る老人達と寄り添い、いまだ原初の姿が生きる奇跡の島、ミャークを鮮やかに投影した。■ストーリー■ ミャーク(宮古島)には、今まさに失われようとしている大切な「記憶」がある。厳しい島での暮らしや神への信仰などから生まれ、ずっと大切に歌い継がれてきた「唄」がそれだ。 老人達は語る。かつて島での厳しい生活と信仰と唄が切っても切り離せないひとつの時代があったことを。そして、今でも神の存在がかけがえのないものであることを。老人達の心を映すかのように、この島の御嶽では神事の火が数百年に渡り人から人へと受け継がれてきた。 神女達(ツカサンマ)は、生きる願いとともに「神歌」を神に捧げる。宮古島の唄の源流とされる古い唄だ。しかし、「神歌」の響きが、今この島から途絶えようとしている。2009年、九十歳を超えた老婆達が東京へと渡る。コンサートホールの舞台に立ち、「神歌」を歌うために。満場の観客を前に彼女らは力を振り絞り、歌う…。 ミャークの「神歌」が一般聴衆に届いた最初の瞬間だ…。沖縄県 宮古島、ミャーク。これほどまでに豊かな世界があったことへの衝撃、そして不思議な懐かしさがわたしたちの胸を打つ。■プロフィール■ 製作・監督・撮影・録音・編集:大西功一■1965年、大阪生まれ。1984年大阪芸術大学入学。在学中よりテレビ報道カメラマンのアシスタントにつく。1988年、消え行く大阪の古い町を背景にギター流しを追ったドキュメンタリー作品「河内遊侠伝」が卒業制作学科賞。同年上京、映像プロダクションへ。1991年、退社後、フォークシンガー高田渡を象徴的役柄に配し、映画「吉祥寺夢影(きちじょうじむえい)」を制作。その後いくつかのプロダクションに所属し、1995年、映画「とどかずの町で」制作。以来フリーランス。テレビ番組、ミュージックビデオ、DVD、PRビデオ、映画予告編等、多ジャンルの映像作品を手掛けて現在に至る。「スケッチ・オブ・ミャーク」は16年ぶりの映画監督作品となる。『スケッチ・オブ・ミャーク』、9月15日より東京都写真美術館ホールにて“魂”のロードショー!『スケッチ・オブ・ミャーク』製作・監督・撮影・録音・編集:大西功一 原案・監修・整音:久保田麻琴出演者:久保田麻琴/長崎トヨ/高良マツ/村山キヨ/盛島宏/友利サダ/本村キミ/ハーニーズ佐良浜/浜川春子/譜久島雄太/宮国ヒデ/狩俣ヒデ/嵩原清 ほか デザイン:有山達也+岩渕恵子(アリヤマデザインストア) 宣伝協力:鎌田雄介/天久雅人/穐場慶吾/サラーム海上協力:東京[無形文化]祭 後援:沖縄県/宮古島市/宮古島市教育委員会/エフエム沖縄/沖縄タイムス社/沖縄テレビ放送 宮古新報/宮古テレビ/宮古毎日新聞社/ラジオ沖縄/琉球朝日放送/琉球新報社/琉球放送(順不同) 特別協賛:特定非営利活動法人 美ぎ島宮古島/日本トランスオーシャン航空株式会社/有限会社 宮古ビル管理(順不同) 2011年/日本/カラー/HD/ステレオ/104分 (c) Koichi Onishi 2011公式サイト http://sketchesofmyahk.com公式facebook https://www.facebook.com/MYAHK77公式twiiter @MYAHK77
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スポーツ 2012年07月04日 15時30分
ダルビッシュを何としても球宴へ! レンジャーズが異例のバックアップ大作戦
7月10日(日本時間11日)に開催される米メジャーリーグのオールスター戦。その出場選手が1日(同2日)に発表され、所属するア・リーグ33人のメンバーのなかに、ダルビッシュ有投手(25=レンジャーズ)の名はなかった。 監督推薦選手を選んだのは自軍のロン・ワシントン監督だが、ダルビッシュを選ばなかった背景には、ポジションや他の球団とのバランス等の理由があった。しかし、ワシントン監督には別の思惑もあったようだ。 ダルビッシュが球宴に出るためのラストチャンスが、「ファイナル・ボート」(34番目の男)と呼ばれるインターネットによるファン投票。候補選手は同リーグでは、ダルビッシュの他に、ジョナサン・ブロクストン(ロイヤルズ)、エルネスト・フリエリ(エンゼルス)、ジェイソン・ハメル(オリオールズ)、ジェイク・ピービ(ホワイトソックス)の4投手。このファン投票で1位になれば、球宴に出場できるが、ワシントン監督は「ダルビッシュなら、『ファイナル・ボート』で選ばれる」と確信して、監督推薦からはずしたとも言われている。 そこで、レンジャーズはダルビッシュの球宴出場に向け、異例のバックアップ大作戦を敢行。同軍はツイッターで大々的に「VOTE YU(有に投票しよう!)」と呼び掛け、全世界への拡散をもくろむ。同軍では投票したファンの中から抽選で、本拠地のレンジャーズ・ボールパークのスイート席に招待するプランも掲げた。 また、ナ・リーグのダイヤモンド・バックスと協力関係を敷いたことも発表。同軍からは「ファイナル・ボート」候補にアーロン・ヒル内野手が選ばれているが、両軍のファンにダルビッシュとの相互投票を呼び掛けた。 3日(同4日)、米メジャーリーグは「ファイナル・ボート」の中間結果を発表。ダルビッシュがア・リーグのトップに立っていることが分かった。投票は残すところ、あと2日で、5日(同6日)に締め切られる。ダルビッシュが自軍の大きな支援を受けて、“34番目の男”に選ばれるか、大いに注目されるところだ。(落合一郎)
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芸能 2012年07月04日 14時00分
不人気の『24時間テレビ』マラソンランナー役
今年の『24時間テレビ』(日本テレビ)のチャリティーマラソンは、プロレスラーの佐々木健介&北斗晶夫妻と子供たちのファミリーが駅伝形式で走る。 「絆やつながりをテーマにしたので、家族で力を合わせて走るのがいいのではないかという理由で決めたようです。しかし決定のプロセスには紆余曲折がありました」(テレビ局関係者) ネットを見る限り「猫ひろしを走らせろ」という書き込みが多く、一番盛り上がるのは「オリンピックではダメだが、リベンジで猫が走る」というシナリオを大衆は望んでいたようだ。 「ところが、猫ひろしは『まだ次のオリンピックを諦めていない』という理由でオファーがNG。スギちゃんは忙しすぎてダメ、一時期『ローラはどうだろうか』という声も出たが、昨年の大震災を振り返るという番組構成にマッチングしないと流れた。まさにブッキングが迷走を重ねたのです」(スポーツ紙記者) いま一つ、ランナーをやりたがるタレントが少ないようだ。ギャラは100万円ともいわれているが、なぜだろうか。 「出演者もそうだと思いますが、『24時間テレビ』のチャリティーランナーになると、ふだんは大したことをしていないのに、逸話をひねり出して急にいい人を演出したり、苦労人ぽい側面を出さなくてはいけないので、トライした本人が偽善的だと落ち込むのだそうです。有吉弘行が復活したときに楽屋のオフレコ話で『走れば、そこである程度、タレント生命が終わると思う』と話したというが、実際エド・はるみなどは仕事が激減した感がある。視聴者から見て『燃え尽きた』という感じがするのかもしれません」(同) 愛は地球を救うが、ランナーのタレント生活は、決して走ることで救われない。
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その他 2012年07月04日 12時00分
血糖値を低く抑えるは“過去の常識”糖尿病で最も警戒すべき過度の高血糖医薬治療(2)
前出の浦上院長は「あくびを連発したり、異常にお腹がすいたと感じたら低血糖の疑いがあるので、すぐに対処してほしい」とし、次のような点を挙げる。 すぐに砂糖10〜20gを摂るか、糖分を含む清涼飲料水を飲むこと。また、血糖降下薬による治療やインスリン療法を受けている人は、スティック・シュガーを持ち歩き、低血糖のサインを感じたらいつでも摂取できるようにしておく。アメやチョコレートでもいいが、砂糖の方が即効性があるという。 こんな一例がある。東京都内でリフォーム・メーカー営業担当のAさん(45)は、ヘモグロビン(Hb)A1Cが7.2%で、朝食直前に糖尿病の経口薬1錠を飲んでいた。 ある日、午後2時近くに突然、動悸とめまいに襲われてふらつき、救急車で病院へ搬送された。血糖値は低血糖ギリギリの70mg/dlの半分近い45だった。 その頃のAさんは、朝食を朝7時に摂っていた。だが、昼食は商談や打ち合わせでほとんどが2時過ぎ。そのために空腹時が長く続き、低血糖になる可能性が高かった。 また、Bさん(51)は夜中にたびたび目を覚まし、寝汗もよくかいていた。行きつけの医院で診察を受けると、低血糖の数値を示された。Bさんはやや太り気味だったことから、夜中の目覚めや寝汗は室温と肥満体形のせいと思い込んでいた。 医師から、それらは低血糖の典型的な症状と告げられ、自宅でできる簡易の自己血糖測定器を使い、目が覚めた際に測ってチェックを始めた。 Bさんは笑いながら、こう話す。 「そういう意識を持つだけで、数値の方も変わってきたように思います。もちろん良い方にですよ」 注意点もある。糖尿病の降下剤や低血糖薬にしても「薬の効かなくなる時間帯を知る」ということ。 ある糖尿病の専門医師は言う。 「不規則な仕事の場合、常に同じ時間に食事が出来るわけではないでしょう。昼食を抜かなければならないときもあるはずです。その時の薬の状態を知っておくことが大事で、医師とよく相談することがいいと思います。運動する場合も食事の30分後にしてください」 また、常日頃から運動不足を自覚したり、肥満型の糖尿病の人は「やせなくては」という強迫観念から、朝食前にジョギングなどをしようとするが、これも注意が必要である。 「運動をする前に、バナナなどで補食していればいいのですが、そうでなければ低血糖を起こします。食事直後の運動もいけません。血糖値がなかなか上がりにくい人もいるし、食事前の運動と同じリスクがありますので注意が必要です」(前出・専門医師) 糖尿病でなくても低血糖になりやすい人は、食事を3食摂るよりも、少量の食事を何回も摂る方が低血糖を避けられる。 糖尿病の人は、いざというときの自分の状態を医療機関に知らせるため、医療識別のブレスレットやタグを持ち歩くこともお勧めする。やはり自己管理も重要な事である。
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その他 2012年07月04日 12時00分
インタビュー 受刑者のアイドル・Paix 2(ぺぺ) 今も歌い続ける全国308回「プリズン・コンサート」(3)
−− Manamiさんの方は、ヘルニアにかかられたそうですが。 Manami「そうですね。被災地に向かう途中の電車の中で、いきなり腰に激痛が走って…色んなものが重なっていたとは思うんですけど」 Megumi「各地の刑務所でコンサートをするために、車で移動しながら、なんか腰がおかしいなってその頃言っていたんですよね。それがなくなったと思ったら、突然いきなりガクッときちゃって」 Manami「運動をまったくしてなかったので。何日か車で地方に行って、帰って来ると緊張感が緩んで翌日はガクッときてしまいますね」 −− 移動ばかりだと、あまり運動出来ませんよね。 Manami「外に出ているとそうですね。最近はジムに通い始めて、ちょっと身体を動かしたり、鍛えたりしています」 −− 身体が資本ですからね。 Megumi「そうですね。年々無理を重ねると、無理がそのまま身体に現れるでしょう。そこをきちんとした食生活とか運動とかで補っていくのが一番ですね…養命酒いいですよ(笑)」 −− 最後に、これからの2人の目標を教えて下さい。 Megumi「日々進化していきたいですね。継続するということをずっと言い続けてきましたが、その中で出会いを通して発見した考え方や行動を、進化させていきたいなと思っています」 Manami「どうしても私たちって刑務所とセットなんですよね。それは構わないのですが、ボランティア活動をしている人たちというイメージが先行してしまうんです。私たちからすると歌がまずあってそこからボランティアがあるのに、という思いがあります。ボランティアのために歌っているのではなくて、やっぱり音楽が好きで、歌ってるのに、活動や『Paix 2』のことを調べてもらっても音楽がどうしてもついてこない。だけど、いい曲がいっぱいあるんですよ。ですから、今年はライブを展開し音楽を前面に出して、一般の方にも発信していきたいなと考えています。『そろそろ刑務所はいいから売れてください』と言ってくれる職員さんや、社会復帰した方もたくさんいますから(笑)」Paix 2(ぺぺ) Manami(写真左)とMegumi(写真右)の2人組。2001年4月21日『風のように春のように』でデビュー。'02年3月からプリズン・コンサートを開始し、マスコミで大反響を受けて一躍、『受刑者のアイドル』に。過去2度にわたり法務大臣表彰を受け、'12年6月にも法務省矯正局長から感謝状を授与される。