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スポーツ 2016年06月09日 11時00分
他球団が熱視線 ライバルチームが欲しがる意外なトラ選手
「使わないのなら、くれ!」−−。超変革で今年の阪神は多くの若手が頭角を表した。そんな金本タイガースの“意外な選手”にトレードの申し込みが殺到していたという。 「岡崎(太一)に対する他球団の評価は高い。まあ、以前からそうでしたが…」(球界関係者) 捕手・岡崎は今シーズン、33歳になる。2004年ドラフト会議の自由枠でプロ入りしたが、12年目の今年、初の開幕マスクを勝ち取った。 「昨年の秋季キャンプの時点で、矢野コーチも評価していました」(前出・同) 矢野燿大作戦兼バッテリーコーチ(47)に託したのは、近年のチーム課題だった『正捕手不在』を解消すること。矢野コーチは「横一線の競争」を掲げたが、関西メディアは16年シーズンに3年目を迎える梅野隆太郎とドラフト2位指名の坂本誠志郎の一騎討ちになると見ていた。しかし、今春のキャンプまでの守備練習を見た限り、岡崎の肩の強さ、スローイングの正確さでは若い2人を上回ってきた。 「矢野コーチが岡崎を選んだ理由は、ここまで積み重ねてきた『実績』ですよ」(前出・同) 実績とは、出場試合数のことではない。33歳を迎えるベテランは二軍にいても、常にチームのことを考えて行動していたという。コーチに指示されなくてもブルペンに行って、各投手の投げ込み練習の相手をし、フリー打撃で外野に散らばったボールの回収まで手伝っていたという。裏方のスタッフに任せてもいい仕事である。二軍戦で出場機会がなければ、ブルペンに行く。あるいは室内練習場で黙々とバットを振っていた。チームの役に立つには…。こうした姿勢を矢野コーチは実績として評価したのである。 「岡崎はここ数年、オフになる度に『解雇』の恐怖と戦っていました。去年だって危なかったんです」(関西メディア) チーム関係者によれば、金本知憲監督(48)はドラフト会議、球団上層部に『選手リスト』を手渡されたという。阪神に限った話ではないが、新任指揮官は「いらない選手名」を聞かれるそうだ。金本監督は「秋季キャンプを見ただけでは分からない」との理由で、その“権限”を放棄した。これによって生き残ることのできた選手がいたとしたら、意を決したはずだ。 育成4年目の原口文仁も結果を出した。阪神スカウト陣には「キャッチャーコレクター」という、有り難くないニックネームもある。たしかに、毎年のように高校、大学、社会人の有望捕手を指名してきただけに、「正捕手不在」に陥るのはおかしい。正捕手争いはもう暫く続きそうだが、他球団が陰で努力してきたベテランを評価していると聞くと、トラの再建は決して遠くないだろう。
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芸能ニュース 2016年06月09日 10時35分
市川海老蔵 妻・小林麻央の「がん報道」で会見へ
妻である小林麻央が「進行性がん」と一部メディアで報じられたことを受けて、夫で歌舞伎俳優の市川海老蔵が9日、自身のブログを更新した。 「今日か明日会見させていただくので」と題し、「できれば家の周りは近所の方々のご迷惑になるので帰って頂きたいです。よろしくお願いします」と報道陣にお願いした。 最後に、「私はいつも通りトレーニングです。がんばろ!」と自身のトレーニング風景写真をアップ。文脈や写真から察するに、いつも通りの海老蔵だった。
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社会 2016年06月09日 10時00分
崖っぷちNEC 欧米型組織改編でV字回復なるか
「世界景気の減速傾向は日本が誇る電機メーカーにとっても正念場。シャープは身売りを決断し、東芝はいまだ不正会計問題が尾を引いています。一方、ソニーとパナソニックは数年前の赤字状態から脱し、ようやく復調の兆しが見えてきました」(経済記者) そんな中、ここ10年で売り上げを4割も減らしているNECが取り組んでいる新たな組織改編が、世間の耳目を集めている。 NECと言えば、1980年から15年近くも社長を務めた関本忠弘氏の時代に、電電公社(現NTT)の下請け企業からコンピューターや半導体などを手掛ける総合電機メーカーに変貌し、『PC-9800シリーズ』で約50%のシェアを握って国内PC市場を席巻、半導体生産でも世界一になるなど、日本を代表するエレクトロニクス企業として君臨してきた。2001年には、世界初の折り畳み型携帯電話機を商品化し、iモード対応機種が大ヒットして国内出荷台数でトップに立ったこともある。 しかし、ここ数年は世界経済の変動、韓国・中国企業の台頭に苦しみ、効率化を追い求めた揚げ句、事業の統合と切り離しを繰り返すばかりの“黒歴史”と化していた。'09年度は携帯端末シェアでシャープ、パナソニック、富士通に次ぐ4位に甘んじ、事業をカシオ計算機、日立製作所と統合。'11年7月に中国系PCメーカーであるレノボと合弁会社を設立して個人向けPCを移管した際には、実質PC事業からの撤退と評された。また、日立との合弁会社エルピーダメモリにDRAM事業を移管したのに続き、かつては世界トップクラスだった半導体事業も本体から切り離してNECエレクトロニクス(現ルネサスエレクトロニクス)に移したことで、「一体何を売る会社なのか」(市場関係者)と陰口されるまでになっていた。 「先ごろ発表された昨年度の決算報告内容は減収減益でした。現在、NECが主力事業としているシステム開発業界は、マイナンバー関連の案件による活況が続いているとみられていたため、周辺からは驚きと先行きに対する不安も伝わりました。そんな周囲の声を払拭するべく、同時に発表されたのが2019年3月期を最終年度とした中期経営計画。かじを切るのは、この4月に新社長に就任した新野隆社長です。新野社長がこの中計のポイントとして成長戦略とともに掲げたのが『10万人を擁するNECグループの全体最適化を進めるための組織改編』なのです」(NECウオッチャー) 先に述べたように、NECの組織改編といえば事業の切り離し、あるいはスリム化だったのだが、今回は従来と一線を画している。スタッフ部門をはじめとしたグループ内部の組織改革を推し進めていくのが特徴で、1年以上前から本格稼働に向け準備を進めていた。具体的には本社の管理部門および事業部門のスタッフ業務の大半を、昨年4月に設立した新会社『NECマネジメントパートナー』に出向という形で随時集約している。 「この組織改編は、米国のゼネラル・エレクトリック(GE)が実践している『シックスシグマ』をベンチマークとしています。この手法は、プロジェクトチームを立ち上げ、さまざまな社内の課題を解決するもの。90年代後半にGEが全世界の拠点にほぼ一斉導入して大きな財務成果を出しました。業務プロセスに潜む真の問題点を発見、改善することによって生産性を高めたり、顧客窓口の対応を迅速にしたり、あるいは営業活動の確度を高めたりします。結果を定量化して社員を評価していくとしており、経営サイドは意欲満々です」(同ウオッチャー) しかし、「毎日がリストラ」などと揶揄されるこの欧米型ノウハウに対し、現場からは多くの不満が漏れているという。社員の1人がひっそりと語る。 「はっきり言って、この組織改編は失敗。各部門の半分を出向、半分はそのまま残すという体制をとったのが原因です。社員証2枚、複数のIDを持ったりして、それを使い分けなくちゃいけない。もう何がなんだか分からない状態。すでに出向した社員が元の組織に戻るといった混乱も発生しています」 今回の組織改編に危機感を抱いているのは社員だけではない。同社のOBも憂慮している。 「NECは、ここ数年続いたお家騒動などに嫌気が差して多くの優秀な人材が流出してしまった。組織の改編は目先の利益だけにとらわれている気がする。うまくいかなければ、さらなる人材流出の引き金になりかねない」 近年まれにみる規模の改編に踏み切ったNEC。急激に変化する世界の荒波に翻弄され続ける国内企業の成功事例となれるのか、今後の動向が注目される。
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アイドル 2016年06月08日 21時30分
HKT48 チームHキャプテンの穴井千尋が卒業
アイドルグループ、HKT48の穴井千尋が同グループを卒業することをHKT48公演で発表した。 穴井千尋は1期生としてHKT48に加入。チームHのキャプテンとして活躍していた。現役女子大生の穴井は学業に専念するため、7月31日に卒業する。
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アイドル 2016年06月08日 21時25分
乃木坂46・深川麻衣 生駒里奈にも褒められた初のソロ写真集の手渡し会を開催
乃木坂46の深川麻衣が、初となるソロ写真集「ずっと、そばにいたい」(発売元:幻冬舎)の発売を記念して、1,000名を対象とした手渡し会を福家書店(東京・新宿)にて開催された。 同グループがデビューした2012年に、ライブイベントで訪れた金沢に思い入れがあり、すべて金沢で撮影された初のソロ写真集。「4月中旬頃に撮影しましたが、ちょうどその頃、金沢では桜が満開ですごく綺麗でした。またずっと行きたいと思っていた21世紀美術館にも行けてすごく感動しました」と深川はコメントした。 ちょうど当日、写真集を見た同メンバーの生駒里奈からは「お風呂で撮影した写真で、背中が綺麗と褒められました!」と、言われたエピソードもあったそうだ。 6月15日・16日に、深川の地元である静岡エコパアリーナでのライブで乃木坂46を卒業する事に関して深川は、「この5年間の中で一番印象に残っているのはライブです。最後にライブで卒業出来る事は本当に嬉しく思っています。夏には3期生という新しいメンバーも加わる予定ですが、個人個人が素晴らしい才能を持っているグループなので、みんなで頑張っていって欲しいです!」と乃木坂46のメンバーにエールを贈った。
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アイドル 2016年06月08日 20時00分
全曲・初CD化! 『徳丸純子 ゴールデン☆ベスト』6月22日発売決定
1983年3月21日「聖・ファーストラブ」で歌手デビューしたアイドル・徳丸純子のCDが、『徳丸純子 ゴールデン☆ベスト』として6月22日に発売することが決定した。 今回のゴールデン☆ベストには、デビュー曲「聖・ファーストラブ」から、「PICA-PICA」、「恋はシーソーゲーム」、「蒼いサスペンス」、「哀の心話」までの現在発表されている全シングルのA・B面楽曲をコンプリート、そして、1st及び2ndアルバムから5曲ずつをセレクトした、全20曲もの楽曲を収録。何と言っても、全ての楽曲が今回初CD化という、まさにファン待望の作品となっている。 リリースを前に、『徳丸純子 ゴールデン☆ベスト』ダイジェスト試聴がYouTubeにて公開された。当時を振り返り懐かしむも良し、新しい発見するも良し、さまざまな角度から「アイドル 徳丸純子」を楽しんでみて欲しい。
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社会 2016年06月08日 18時00分
熊本被災地で女児に“抱きつきキス”したロリコン保育指導員の評判
熊本県警は、16年5月11日午後3時20分、非常勤職員の男(52)を強制わいせつ容疑で逮捕した。男は市の非常勤職員として、放課後に施設に集まる児童の世話をしていたが。勤務する施設にいる女児に対し「アメリカではあいさつと同じ」などと語り、女児の口に無理やりキスをした疑い。この一部始終を同僚の職員が見ていて親に報告し、親が県警に被害届を出した。 強制わいせつ容疑で逮捕されたのは、同市中央区出水に住む、安藤喜徳容疑者(52)。安藤容疑者は熊本地震による人手不足のため緊急公募された平成28年度臨時学童保育指導員として、勤務を始めたばかりだったという。 「4月下旬以降、熊本地震により設けられた熊本市や隣接する益城町の避難所で、不審な中高年の男が女児に抱きつくなどの様子が複数回目撃されており、熊本東署が捜査をしていたのです。そんな折、5月11日午後3時過ぎ、熊本市内の小学校の学童育成クラブで女児を抱きかかえキスをする安藤容疑者の行動を、同僚の職員が目撃し、上部機関へ報告。警察が女児の父親から被害届を受理して逮捕となったのです」(全国紙社会部記者) クラブは放課後に保護者不在の小学生を預かるもので、学校と同じく地震で休みに入っていたこのクラブも5月8日に再開していた。安藤容疑者は逮捕後、「求めに応じキスしたので納得できない」と否認しているというが、意外にもこんな一面を持っていたという。 「本人のフェイスブックによれば、以前に熊本市内の小学校で4年間にわたり部活指導の研修を受け、大分県内の中学校では吹奏楽部を立ち上げ長く指導に携わっていた。トランペットを得意とし、その後も大分・熊本両県の小中学校で吹奏楽教育に関わっていたといいます。昨年からはトランペッター、音楽家として老人ホームの慰問などを行っており、人柄の評判はよかったとのこと」(地元紙記者) 最近では避難所や学童育成クラブでの指導員のほか、5月3日には、避難場所となっていた熊本市内の小学校でトランペットパフォーマンスを披露。「素晴らしい演奏を繰り広げる」と、地元紙でその様子が報じられている。 「小柄で白髪、一見温厚な性格に見えるため、そんな裏の顔があったとは、周囲の誰も分からなかった。しかし緊急だったとはいえ、安藤容疑者の採用について選考方法に問題があったのではないかと、地元では保護者を中心に不安の声も上がっています」(地元記者)
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芸能ネタ 2016年06月08日 17時00分
芸能人女性の落とし方(62)〜高身長の男性に憧れる藤田ニコル〜
今や多くのテレビや雑誌で活躍し、若者からも絶大な支持を受けているモデルの藤田ニコル。彼女は1998年、ニュージーランドでロシアとポーランドのハーフの父親と、日本人の母親との間に生まれた。その後、ニコルが3歳の時に両親は離婚。母親と共に日本へ帰国することとなる。 「お金面だと結構困ってました。アパート生活で、つい最近まで扇風機でした。今の私世代の子たちだったら家に絶対クーラーあるじゃないですか。めっちゃ暑いのに夏も扇風機で頑張ってました」 日本に帰国してからの生活は決して楽なものではなかった。だがそんな時、母親が買ってきたファッション誌『nicola』が名前の『ニコル』と似ているということで、モデルに応募。すると、そのままニコラモデルのグランプリを受賞し、同誌のレギュラーモデルとして人気を獲得していく。だが中学に入ってからもプライベートでは過酷な日々が続いた。 「いじめにあったり残念ながら楽しいって思えない中学生活でした」 中学の時からモデル活動を行っていたことで、ニコルは同学校の生徒達から注目の的だった。それだけに同性からは嫉妬の対象にされやすく、やがてイジメにも繋がっていく。ある時は、廊下ですれ違った際に、同級生から「あれがモデルなの? めちゃくちゃブスじゃない?」と聞こえるように言われたり、掲示板の自分の写真にだけ画鋲が刺されていた。さらに「男関係で話がある」と同性の先輩から呼び出されると、勝手な因縁を付けられ、土下座を強要された時もあった。そんな日々が続くことで、彼女は学校生活において心を閉ざしていき、不登校となってしまう。 「今思えば強気でいたけど内心めっちゃ辛かったんだろうな」 しかしそれらの日々を乗り越え、今では様々なメディアで活躍する人気者となった。そんな彼女のタイプは、自身が167cmと女性としては高身長のため、自分より背の高い男性に憧れているのだという。 というわけで、ニコルを落とすならば身長を極限まで伸ばすしかない。日本人の平均身長は167センチと言われているが、最近話題となった女性による身長アンケートによると、男性は170センチでも低身長の部類に入れられてしまうという。なので多くの男性は、工夫して身長を伸ばしていくしかない。 まず身長を伸ばすのによく使われる手法は、厚底のシークレットブーツだが、実際問題、靴を脱げばすぐにバレてしまうし、別の方法として大きな帽子を被ったとしても風に飛ばされたら終わりである。そこで我々がやることは美容整形外科へ行って後頭部にシリコンを入れる手術をすること。この方法はかつて新弟子検査の身長基準をクリアするために相撲の力士が実践していた方法である。そしてさらに身長を伸ばすためには、アクセサリーのような輪っかを首元に何十にも装備し、日々その数を増やしていこう。すると首がやがて首長族のような長い状態となり、自然な高身長を手に入れることが可能だ。気が付くと自分は高身長になっているので、きっとニコルも落とすことができるだろう。(文・柴田慕伊)【参考】・スポニチ 2015年9月2日・「7時にあいましょうSP 一触即発!有名人ケンカ対面2時間SP」(TBS系)2016年5月30日・「好きになった人13」(日本テレビ系)2015年12月28日
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アイドル 2016年06月08日 17時00分
【三秋里歩の○○みぃ〜つけた】#1 ソラマチの展望台を見つけて
×月×日 東京タワーは行ったことはあるんですよ。それ以外で東京の名所といえば、スカイツリーやなと思って。 お昼前に電車を降りて、30階をエレベーターで昇りました。景色が見れるエレベーターだったのですが、外は見ないようにしました。怖いんで。一番、はやく降りたいので、一番出口の近い場所にいました。一緒にエレベーターに乗った団体のおじちゃん、おばちゃんは景色を楽しんでいたようです。 ただ、あれだけ高いのに、意外にスカイツリーが30階って、階数は少ないんだなと思ったんです。スカイツリーから東京タワーが見えるって聞いていたので、さっそく見ようと思ったら、隣にスカイツリーが見えて…。「あ、ここ、スカイツリーじゃない」って気づいたんです。そこはソラマチの展望台でした。 ただ、今の30階より高いところとなると、私は高所恐怖症なので、無理やなって思って、ちょっと今回はスカイツリーは諦めました。でも、ちゃんと外からはスカイツリーをちゃんと見たんです。30階でもとっても良い景色は見れました。■三秋里歩1994年8月24日生まれ。京都府出身2010年にNMB48の第1期オーディションに合格してメンバーに。2012年にAKB48と兼任。第6回AKB48選抜総選挙で61位。第7回AKB48選抜総選挙では54位。2016年2月4日にNMB48を卒業。現在はタレント、女優として活躍している。
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ミステリー 2016年06月08日 17時00分
続々ビッグ・セブンの謎
人気ブラウザゲーム「艦隊これくしょん」は、直近のイベントこそ失速がささやかれたものの、アーケード版は筐体に長蛇の列ができるなど、社会現象とまで呼ばれた人気はまだまだ衰えていない。その「艦隊これくしょん」で戦艦長門などのボイスに含まれる「世界のビッグ7」という台詞が太平洋戦争前には存在していなかった、あるいは日本でのみ使われていたのではないかと、マニアなどから疑義を呈されていた。 しかし、ファンなどからの情報によって太平洋戦争前に「世界の七大戦艦」なる表現が存在しており、表記などは異なるものの同じ意味あいの言葉が存在していたことは判明した。では、海外で「世界のビッグ7」という言葉が使われていたかどうかとなると、まず太平洋戦争の前後ともに使用例が見つからず、それどころか太平洋戦争前のアメリカでは自国の誇る戦艦を「ビッグ・ファイブ」と称していた。そのため、似た表現がかぶる上に「自国の強力な戦艦を入れ替えてまで、そのような造語を用いる必然性に乏しい」ということから、使われなかった可能性が高いのである。 他方、イギリスではどのような状況だったかというと、問題となる「世界のビッグ7」に挙げられた戦艦ネルソンとロドネーへの評価はアメリカ戦艦よりもはるかに厳しく、とうてい誇らしく語られるようなものではなかったのだ。 まず、第二次世界大戦前のイギリス海軍を代表する軍艦は間違いなく「戦艦フッド」であり、決してネルソンやロドネーではなかった。加えて、フッドは「イギリス海軍においてもっとも美しい戦艦」とみなされており、あらゆる意味でイギリス海軍を象徴する存在であったのだ。 確かに戦艦ネルソンとロドネーは海軍軍縮条約に定められた上限いっぱいの主砲と防御を備えており、また当時の最新鋭艦でもあったが、イギリス海軍最強の戦艦とみなされていたかどうかについても疑問がある。おおっぴらに戦力を比較した同時代の資料は存在しないようだが、ネルソンとロドネーには後述するような不具合があり、また低速力という弱点もあった。そのため、高速力を誇るフッドのほうが総合戦力において上回っているとの見方については、それなり以上の説得力があったのだ。 そのため、世界の強力戦艦を「ビッグ7」と称する可能性はほぼ皆無で、もしそのような呼称が存在するなら「ビッグ・シックス」となったであろう。 なぜなら、ネルソンとロドネーは単に問題の多い戦艦ではなく、非常に不名誉な事件の舞台となってもいるのだ。(続く)