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競輪人国記 兵庫(2)

 大スターはいないが、持ち味のある選手は多かった。黒田益男(1期)は通算681勝をあげている。まくり先行差しと番手戦をやった記憶はないが、ともあれ力はあった。南勝明(期前)も661勝をあげている。兵庫の選手は関東ではなじみ薄いが近畿地区では圧倒的に強かった。木村繁一(2期)は番手戦の選手、差し脚もあって大物くいだった。

 マーク屋では前川良明(12期)が有名だった。狙ったところは、確実にとって流れ込んでいく。どういうわけか、関東のマーク屋の間で「前川とは競るな」という話が飛んでいた。それだけテクニックがあった。隠れた技のキックやハンドルさばきが上手だったということだろう。

 朝野文冶(18期)はプロゴルファー志望から競輪選手になった。同期の町田克己(群馬)今井正(埼玉)の次くらいだったが、なぜか早めに引退している。個人競技のゴルフに比べると、競輪はラインの戦いだ。性格的に合わなかったのかも知れない。

 藤本清孝(22期)はバンクの外で大物になった。選手会の役員で選手共済会の理事長、選手会の常務までやった。マークきついのは坐古猛(23期)だった。体は大きくないが、じっくりと番手競りをやっていた。

 井上博司(25期)は競りと切れのある追い込みで特別競輪でも活躍した。レースを離れると明るい性格で、人あたりも良かった。坂本敏博(26期)は逃げ差し自在で、逃げたときの粘りはなかなかだった。特別競輪でも穴男だった記憶がある。

 坂東利則(28期)は西宮高の野球部で投手をしていた。恵まれた体で先行まくりと活躍したものだが、選手会の支部長代行としても、後輩選手の面倒をよく見て弟子も多い。
 甲子園と西宮が廃止になった時には、反対運動に精力的に活動したが、その意思どおりにはいかなかった。そのときの落胆ぶりは、いまでも記憶に残っている。

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