上沼は2007年の第7回大会で初めてM-1審査員となり、2016年から連続して審査員を務めている関西芸能界の大御所である。しかしながら、上沼の出演する番組は関西ローカルでのみ放送されているものが多く、関西以外の地区では、テレビ朝日系列のお昼の料理番組『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』などを除いては、彼女をテレビで目にする機会は少なく、松本の指摘する『どれだけ凄い芸人なのかわかっていない』人が多いのも事実である。
上沼は16歳の時の1971年に姉妹漫才コンビの「海原千里・万里」の海原千里としてデビュー。「天才漫才少女」としてマスコミに取り上げられ、1970年代前半には、沢田研二ら当時のトップアイドルらと匹敵する若者人気を関西で獲得するに至った。
その後、第1回上方お笑い大賞銀賞、第3回NHK上方漫才コンテスト優秀敢闘賞といった大きな賞を受賞した後、1975年に後に関西テレビの常務取締役・制作局長となるテレビディレクターの上沼真平と結婚する。結婚後の数年間、引退していた時期はあるものの、以来、関西テレビを中心に多くのテレビ番組に司会者として出演。「西の女帝」として関西では知らない人はいない人気芸人となり、1994年の『第45回NHK紅白歌合戦』で紅組の司会を担当したことで、関西地方以外でも高い知名度を獲得するに至っている。
また、後輩への面倒見がよかったこと、夫である真平が関西テレビ内で出世したこともあり、自身の番組で実力のある若手を積極的に起用し、以来、「関西芸人で上沼夫婦にお世話にならなかった人はいない」とされている。
関西では、非吉本所属の芸人がトップになるのは難しいとされているが、上沼は関西テレビの重役である夫の政治力と自身の才能をもって二人三脚で今の地位を築き上げ、関西で強大な力を持つようになったのである。
確かに、とろサーモン久保田は宮崎県、スーパーマラドーナ武智は愛媛県と、ふたりとも関西出身の芸人ではないため、幼少期の頃、上沼の番組に触れる機会は少なかったのかもしれないが、ふたりとも芸歴15年以上のベテランである以上、やはり松本の指摘する通り「勉強不足」は否めないところだろう。