ところが10月下旬、同国オロミア州で、アビー首相への抗議デモが発端となって住民同士の衝突が発生。死者が80人を超える惨事が起きてしまった。
ノーベル平和賞の受賞者がその後に批判を受けるという事態は、過去に何度も起きている。ノルウェーのノーベル委員会は1991年ミャンマーのアウン・サン・スー・チー国家顧問に平和賞を授与したが、その後42万人を超えるイスラム系少数民族ロヒンギャ難民が、虐殺やレイプを恐れて隣国バングラデシュに逃げ込んだのは記憶に新しい。
これまで受賞者の多くが戦争を開始したり、対立をエスカレートさせたりした例が相次いでいる。78年、当時のベギン・イスラエル首相は、キャンプデービッド和平合意を評価され、エジプトのサダト大統領とともに平和賞を受賞したが、その4年後の82年、レバノン侵攻を命じた。サダト氏は81年にイスラム主義の軍将校により暗殺されている。
94年には当時のパレスチナのアラファト議長がオスロ合意を評価され、イスラエルのラビン首相、ペレス外相とともに同年の平和賞を受賞したが、この合意はアラブ・イスラエル間の紛争に関する永続的な解決をもたらさなかった。ラビン氏は翌年に極右に暗殺され、その8カ月後にペレス氏も選挙に敗れて政権を失っている。
旧ソ連のゴルバチョフ大統領は、冷戦を平和的に終結させたことに対して90年に平和賞を受けているが、翌年にはバルト諸国の独立を阻止するために戦車部隊を派遣している。2009年にオバマ米大統領が就任数カ月で平和賞を受賞したが、その年の暮れ、授賞式のためにオスロを訪れたときには、アフガニスタンの米軍駐留部隊を3倍に増強する命令を下していた。
「受賞者に対する失望の原因は、ノーベル委員会が候補者を選ぶときの基準が、受賞者が示している希望や近年の業績であって、キャリア全体を見ているわけではないからでしょう」(国際ジャーナリスト)
今年の平和賞で受賞候補と目された、スウェーデンの高校生で環境活動家のグレタ・トゥンベリさんは、残念ながら受賞を逃した。そのことに関連して、去る10月25日、英国の自然史博物館が新種の小型甲虫をグレタさんにちなみ「Nelloptodes gretae」と命名したことが話題になった。
しかし、一部からは、この昆虫は目が見えず羽がないことから、グレタさんを「視野狭窄」「飛行機拒否」と皮肉っているという声が聞こえている…。