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プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「ザ・デストロイヤー」国民的関心事だった“白覆面の魔王”の足4の字固め

 昨年、外国人叙勲者として旭日双光章を受賞したザ・デストロイヤー(本名:ディック・べイヤー)。日本プロレス史上に輝く力道山との熱戦、その白覆面と必殺の足4の字固めは、まさに世界遺産と呼ぶにふさわしい。

 プロレス特有の技の中で、足4の字固めは最もポピュラーなものの一つと言えよう。
 少年時代のプロレスごっこでも真似がしやすく、よほど無茶なことをしなければケガの心配もない。4の字を仕掛けたことのある人、掛けられたことのある人、いずれも多くいるはずだ。

 この技の元祖とされるのは、戦後アメリカマット界のスーパースターとして知られる“ネイチャー・ボーイ”バディ・ロジャースで、NWA世界王座を獲得したときのフィニッシュホールドであったとも伝えられる。
 だが、日本でこれを広めたとなると、やはりザ・デストロイヤーということになろう。

 アメリカ修行時代のジャイアント馬場とWWA(かつてロサンゼルスを本拠地に活動していたプロレス団体)王者であったデストロイヤーの闘いが日本で報じられると、覆面王者の珍しさもあって一躍注目を集めることになる。
 そして、1963年5月に初来日を果たすと、力道山を相手に日本初公開となる足4の字固めで勝利を収めてみせた。
 ワールド大リーグ戦5連覇を成し遂げた直後で、まさに絶頂期にあった力道山が敗北を喫したことで、4の字固めはまさしく必殺技として認知されることになったのだった。

 続いて行われた、力道山にとってはリベンジマッチとなるWWA王座戦は、日本プロレス史上に残る大熱戦となる。力道山が渾身の空手チョップでデストロイヤーの前歯をへし折ると、デストロイヤーも4の字で逆襲。これに対して力道山は、秘策“逆4の字”を披露する。
 「実のところ“足4の字を裏返すと掛けていた方が痛い”というのは、力道山考案のアングルで、裏返っても攻守逆転するほどのダメージの変化はないようです。しかし、この一種の“決まり事”によって、地味な寝技になりかねない4の字固めが、試合のクライマックスにまで昇華する。今でもこのアングルは、見せ場の一つになっています」(プロレスライター)
 互いの体を表裏と回転させながら延々と続く攻防に、結局、ノーコンテストの裁定が下されたが、試合後も両者の脚は絡み合って解けず、リングシューズのひもをハサミで切ってこれをほどいたという。

 なお、このときのテレビ生中継は、驚きの平均視聴率64%。日本のスポーツ中継では東京五輪の女子バレーボール決勝や、日韓共催となった2002FIFAワールドカップの代表戦に次ぐ歴代4位の数字で、およそ7000万人がこの試合をテレビ観戦したとも言われる。
 デストロイヤーと4の字固めは、まぎれもない国民的関心事だったわけだ。
 「ちなみにWWAの記録によると、デストロイヤーは来日直前に王座から陥落したことになっており、公式にはタイトルマッチではなかったようです。だから、力道山は勝つこともできたわけですが、そうしなかったのはデストロイヤーに対するファンからの評判が高かったからでしょう」(同)

 デストロイヤー自身も後に初来日時を振り返って、「高校時代に太平洋戦争があったため、訪日以前は反日感情を抱いていたが、日本のファンの温かさに感激した」と述懐している。
 外敵は絶対的なヒールとして扱われるのが当然だった米国マット界に比べて、日本のファンは良いものは良いと認める。そんな観戦スタイルが新鮮に映り、このことが今に至るまでの親日感情につながっているのだという。

 '72年に全日本プロレスが旗揚げされると、デストロイヤーは同団体の所属となり、以後、およそ6年にわたって日本勢の助っ人として活躍する。
 すでにこの頃は40歳をすぎ、当時のレスラーとしてはキャリア晩年にあたるものの、それでも元来は米国のトップ選手。いくら親日家とはいえ所属するには、莫大なギャラがかかったことは想像に難くない。
 日本テレビ系のバラエティー番組『金曜10時! うわさのチャンネル!!』にレギュラー出演していたのも、そのギャラの一部を日テレの負担とするためだったと類推される。

 それでも馬場がデストロイヤーにこだわったのは、そのレスリング技術の高さから、若手日本勢のコーチ役を期待してのことだった。所属を離れてからも、全日には年1回の特別参戦を続け、還暦をすぎた'93年に正式引退となった。
 デストロイヤーは引退後も、自身の名を冠したレスリング大会を日本で開催するなど、日米間の友好や青少年交流に尽力。その功績から昨年、外国人叙勲者として旭日双光章の受賞が決定し、この2月にはアメリカ・ニューヨークで叙勲伝達式が行われた。
 御年87。全盛時と変わらぬ青い縁取りの白覆面をかぶったデストロイヤーは、覆面越しにも分かる満面の笑みで「これ以上の幸せはない」と語ったのだった。

ザ・デストロイヤー
1930年7月11日、アメリカ・ニューヨーク州出身。身長183㎝、体重120㎏。得意技/足4の字固め、ドロップキック。

文・脇本深八(元スポーツ紙記者)

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